人物総覧 す 尾張藩 殉死

名前 鈴木重春
よみ すずきしげはる
生年 慶長五年?(一六〇〇?)
没年 慶安三年五月七日(一六五〇)
場所 愛知県瀬戸市
分類 尾張藩士・鷹匠
略歴

 常陸出身の鈴木重吉の子。通称は太兵衛。諸国を流浪し、尾張藩士高木図書助一吉に仕える。放鷹の術を得意としたため、徳川義直に鷹匠として召し抱えられ、禄六十石を受けた。義直に寵愛され、遊猟の際、義直の手が冷えると、自身の懐で温め猟を行うことができたという。この時、喜んだ義直は「温和なるかな汝の肌膚、手を暖むること火爐よりも善し。比善死すとも忘れじ、我をして泉下に赴かしむる、此肌膚あらば足れり」と言ったといい、これを聞いてすでに殉死の志をたてたという。慶安3年、義直が没すると、寺尾直政らとともに殉死、義直の墓の側に葬られる。法号は守固。(三百藩家臣人名事典など)
 墓碑銘は「鈴木図兵衛尉穂積重春 墓」

鈴木重之の墓(全景)

 
鈴木重之の墓
  
ゆかりの人物リンク
名前 関係 補足 墓所 写真
井上彌五兵衛 殉死 江戸時代初期の尾張藩士、徳川義直に殉死 愛知県瀬戸市
志水正昭 殉死 江戸時代初期の尾張藩士、徳川義直に殉死 愛知県瀬戸市
鈴木重之 殉死 江戸時代初期の尾張藩士、徳川義直に殉死 愛知県瀬戸市
土屋元高 殉死 江戸時代初期の尾張藩士、徳川義直に殉死 愛知県瀬戸市
寺尾直政 殉死 江戸時代初期の尾張藩家老、徳川義直に殉死 愛知県瀬戸市
徳川義直 主君 江戸時代初期の大名(尾張藩)、初代藩主、将軍家康の九男 愛知県瀬戸市