名前 |
建部山比子 |
よみ |
たてべやまひこ |
生年 |
安永七年(一七七八) |
没年 |
天保十年五月三日(一八三九) |
場所 |
山形県鶴岡市 |
分類 |
歌人・書家 |
|
略歴 |
重太郎・敬義・本之・山彦。歌人。庄内藩の右筆。若いときから書に長じて小野道風の「秋萩帖」の真髄を会得し藩内有数の能書家と評された。一方女流歌人杉山廉について和歌を学び、さらに京都の公家藤原貞直のもとで歌学を修めて後年は多くの門人を指導した。自筆の「春来帖」を木版にし、また文政7年(1824)には命ぜられて「荘内二部五人組掟帳」の版下を書く。62歳で没した。金峯山中の宮付近に門人らが建てた碑がある。著書「建部山比子歌集」。(庄内人名辞典より)
墓碑銘は「仁達勇道儀山居士」
|
建部山比子墓所 |
建部山比子の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
佐藤善三郎 |
弟子 |
江戸時代後期の富農 |
山形県鶴岡市 |
|
清水一富 |
弟子 |
江戸時代後期の書家 |
山形県鶴岡市 |
|
杉山廉 |
師 |
江戸時代中期の歌人 |
山形県鶴岡市 |
|
富小路貞直 |
師 |
江戸時代後期の公卿、歌人 |
自信なし、情報求む |
|
|