名前 |
杉山宜袁 |
よみ |
すぎやまよしなが |
生年 |
寛保元年(一七四一) |
没年 |
文化八年六月二十一日(一八一一) |
場所 |
山形県鶴岡市 |
分類 |
庄内藩家老 |
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略歴 |
父は庄内藩士杉山十郎右衛門宜葵、母は伊予国大洲藩士堀源太兵衛の女でその三男として生まれる。杉山家は三河以来の酒井家譜代の臣。四代目七郎左衛門成育の時に本多出雲守一件の責任者として永暇に処せられたが、分家の金右衛門宜元が栄達して中老となり、家名を復興した。宜袁はその孫にあたる。通称を弓之助といい、後に金右衛門、中務と改め、隠居後は一貫彦と称した。宝暦8年、900石の家督を継いで番頭、同10年組頭、安永2年中老、同8年家老に任ぜられ、200石を加増されて1100石となった。翌年100石を本家の甚蔵に分知、さらに天明3年に100石を返還して隠居し、嫡子弓之助宜為が900百石を相続した。女流歌人として才名を謡われた杉山廉は姉に当たり、宜袁も穎才で和歌に長じ、さらに郷土史に造詣が深く、隠居後に庄内地方の故事来歴や名所旧跡を調査し、逸話や古文書を収集して『大泉事跡考』『大泉百談』『政府見聞私記』を著した。71歳で没した。妻富山(加藤氏)との間に二男七女があった。
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杉山宜袁墓所 |
杉山宜袁の墓 |
杉山宜袁の墓(側面) |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
杉山宜満 |
孫 |
江戸時代後期の庄内藩家老、亀ヶ崎城代 |
山形県鶴岡市 |
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杉山宜元 |
祖父 |
江戸時代初期〜中期の庄内藩中老 |
山形県鶴岡市 |
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杉山廉 |
姉 |
江戸時代中期の歌人 |
山形県鶴岡市 |
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