名前 |
白崎善次郎 |
よみ |
しらさきぜんじろう |
生年 |
寛政五年(一七九三) |
没年 |
元治元年十二月二十八日(一八六四) |
場所 |
山形県酒田市 |
分類 |
木彫師 |
|
略歴 |
度定・知新・五菜・拙逸堂・蓬樵・温。本姓は杉山,酒田桶屋町に住居し先代文錦堂の跡を継ぐ。木工を業とし,父につづいて最上川から採った埋れ木で文人墨客らの求めに応じて種々の文具、骨董品等をつくった。江戸の碩儒朝川善庵より埋れ木細工の紀文を貰いうけて彫刻した。千種有功、鈴木重胤、池田玄斎らと文通し、俳諧および狂歌をよくした。72歳で没した。(庄内人名辞典など)
墓碑銘は「拙逸堂墓」
|
白崎家墓所 |
白崎善次郎の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
朝川善庵 |
交友 |
江戸時代後期の儒者、平戸松浦家に仕える |
東京都墨田区 |
|
池田玄斎 |
交友 |
江戸時代中期〜後期の文人 |
山形県鶴岡市 |
|
白崎文錦堂 |
父 |
江戸時代中期〜後期の木彫師 |
山形県酒田市 |
|
鈴木重胤 |
交友 |
江戸時代後期の国学者、篤胤学を批判 |
東京都杉並区 |
|
千種有功 |
交友 |
江戸時代後期の公卿、歌人。千々迺舎 |
京都市左京区 |
|
|