名前 |
志田義貫 |
よみ |
しだよしつら |
生年 |
寛政十年(一七九八) |
没年 |
明治九年三月十三日(一八七六) |
場所 |
山形県鶴岡市 |
分類 |
歌人 |
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略歴 |
広助・実兵衛・柿園。最上郡南山大庄屋柿崎弥左衛門の子。伊勢国に赴いて足代弘訓に和歌を学び,京都の人板倉牛鹿と交わる。弘訓から庄内にすぐれた歌人として白井重固(固ともいう)がいることを教えられて鶴岡に移住,足軽組に編入されて重固に仕えたが,のち従士志田勘内の養子に入る。和歌にすぐれたほかもっとも文法に長じた。享年79。(庄内人名事典)
墓碑銘は「黙翁廣道居士」
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志田義貫墓所 |
志田義貫の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
足代弘訓 |
師 |
江戸時代後期の国学者、神職、伊勢神社外宮権禰宜 |
三重県伊勢市 |
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白井重固 |
交友 |
江戸時代中期〜後期の庄内藩士、致道館司業 |
山形県鶴岡市 |
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星川清晃 |
弟子 |
江戸時代後期〜明治初期の歌人 |
山形県鶴岡市 |
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