名前 |
酒井駒太郎 |
よみ |
さかいこまたろう |
生年 |
明治五年五月六日(一八七二) |
没年 |
昭和六年十二月五日(一九三一) |
場所 |
山形県鶴岡市 |
分類 |
園芸家 |
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略歴 |
庄内柿の始祖酒井調良の長男。当初鶴岡町役場に勤務して兵事係となり、明治40年(1907)に日露戦争戦勝記念の桜と柳300本を鶴岡公園に植樹したといわれる。明治44年(1911)父調良が庄内柿を普及させるため苗木と穂木の分譲をはじめると、駒太郎は役場を退職して自宅で父の指導を受けながら柿の栽培、苗木の育成に従事し、果樹園芸についての諸研究に没頭する。やがて全国各地の園芸家や大学などと交流をはじめ、柿を主とする園芸指導を行い、自身で育成した庄内柿の苗木を各方面に頒布した。羽黒町の松ケ岡開墾場に駒太郎の指導書が保存されている。柿の本場といわれる山形県内陸部や和歌山県の各地、新潟県佐渡郡羽茂町等は、すべて駒太郎およびその嗣子駿次のもとから苗木・穂木が出荷されて産地を形成した。60歳で死亡。(庄内人名事典より)
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酒井吉之丞家墓所 |
酒井駒太郎の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
酒井調良 |
父 |
明治期〜大正期の農場経営者、「庄内柿」 |
山形県鶴岡市 |
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酒井了明 |
祖父 |
江戸時代後期の庄内藩家老 |
山形県鶴岡市 |
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酒井了恒 |
叔父 |
幕末の庄内中老、鬼玄蕃 |
山形県鶴岡市 |
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ゆかりの地リンク |
場所 |
住所 |
説明 |
写真 |
松ヶ岡開墾場 |
山形県東田川郡羽黒町猪俣新田 |
松ケ岡開墾に参加 |
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