名前 |
酒井忠起 |
よみ |
さかいただおき |
生年 |
享保二十年八月十五日(一七三五) |
没年 |
明和四年六月九日(一七六七) |
場所 |
東京都新宿区 |
分類 |
庄内松山藩世子 |
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略歴 |
亀之助・忠躬・山城守・馨徳院。庄内松山藩世子酒井忠英の次男として江戸藩邸で誕生する。父は第2代藩主忠豫の長子でその跡を継ぐべきところ盲目であったため廃嫡され、庄内藩家老酒井図書の長子忠休が養子に入って3代目藩主となった。忠英の長子で兄の忠郷が藩世子となったが寛延2年(1749)10月変死した。翌3年1月その忠起が9歳で藩世子となり、同年12月従五位下山城守に任ぜられた。しかし藩主忠休はこれをよろこはず、このため藩内2派に分裂して宝暦騒動といわれる紛争が起こる。忠起も33歳のとき江戸で早世した。(庄内人名事典より)
墓碑銘は「馨徳院殿朝散大夫映誉月眞普明大居士神儀」
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酒井忠起の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
加賀山寛猛 |
守 |
江戸時代中期の庄内藩儒 |
山形県鶴岡市 |
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酒井忠郷 |
兄 |
江戸時代中期の庄内松山藩酒井家世子 |
東京都新宿区 |
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酒井忠英 |
父 |
江戸時代中期の庄内松山藩酒井家世子 |
東京都新宿区 |
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酒井忠休 |
養父 |
江戸時代中期の大名、出羽松山藩(松嶺藩)二万五千石酒井家3代 |
山形県飽海郡松山町 東京都新宿区 |
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