名前 |
酒井忠郷 |
よみ |
さかいたださと |
生年 |
享保十九年(一七三四)五月十日 |
没年 |
寛延二年(一七四九)十月十九日 |
場所 |
東京都新宿区 |
分類 |
庄内松山藩世子 |
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略歴 |
竹之助・兵庫。酒井忠英(松山2代藩主忠豫の嫡子)の長子。父は盲目のため廃嫡となり宗家の家老酒井図書(直隆)の長子忠休が3代藩主となり、延享2年(1745)4月忠郷を忠休の後嗣に定めた。これより忠休の子忠崇との後嗣争い(宝暦騒動)が生じて庄内松山港内は2派に分れ、忠郷は藩医水田養陸によって謀殺されたという。饅頭による毒殺だと伝えられる。享年16歳。(庄内人名事典より)
目のため廃嫡となり宗家より米1000俵を給される。忠英に代ってが忠豫の養子に入って、のち3代目の松山藩主となる。
墓碑銘は「保監院殿統誉天寧儁哲大居士霊儀」
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酒井忠郷の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
酒井忠英 |
父 |
江戸時代中期の庄内松山藩酒井家世子 |
東京都新宿区 |
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酒井忠起 |
弟 |
江戸時代中期の庄内松山藩酒井家世子 |
東京都新宿区 |
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酒井忠予 |
養父 |
江戸時代前期〜中期の大名、出羽松山藩(松嶺藩)二万酒井家2代 |
山形県飽海郡松山町 |
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