名前 |
斎藤墨湖 |
よみ |
さいとうぼっこ |
生年 |
安永元年(一七七二) |
没年 |
明治七年三月一日(一八七四) |
場所 |
山形県飽海郡松山町 |
分類 |
画家・松山藩御茶道役 |
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略歴 |
名は仙将、通称は久作、号は墨湖。別に中山墨湖ともいう。父は庄内松山藩の斎藤清賀で松山藩御茶道役、七石二人扶持の足軽組で江戸に在勤。五代藩主酒井忠礼に仕える。谷文晁の高弟春木南湖を御抱絵師としていた忠礼の命で、南湖の下で絵の修業を命じられた。師から一字を貰い墨湖と号することを許され、たびたび揮毫を請われることがあった。文化11年(1814)5月父の跡を継いで茶道役となり、藩主から傅賀の名を賜る。文化13年45歳で御茶道役を辞して勘定組に転じ、松山に帰った。隠居後造酒屋をいとなんたが、廃業して画業に専念した。松山の旧称中山から中山墨潮と称したこともある。鶏の図柄を得意として「鶏の墨湖」といわれた。死の前年まで絵筆をとり、103歳という驚異的な長寿を保った。絵師田中静居は、その門人。
墓碑銘は「銀山墨湖居士」
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斎藤墨湖墓所 |

斎藤墨湖の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
酒井忠礼 |
主君 |
江戸時代後期の大名、出羽松山藩(松嶺藩)二万五千石酒井家5代 |
東京都新宿区 |
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田中静居 |
弟子 |
江戸時代後期〜明治期の絵師 |
山形県飽海郡松山町 |
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春木南湖 |
師 |
江戸時代中期〜後期の画家 |
東京都府中市 |
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