名前 |
川村曲全斎 |
よみ |
かわむらきょくぜんさい |
生年 |
延宝七年(一六七九) |
没年 |
宝暦十一年七月十四日(一七六一) |
場所 |
名古屋市千種区 |
分類 |
国学者・商人 |
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略歴 |
俗称は天満屋九兵衛居号を謝青奄と曰ふ。曾祖某は大坂天満の商人。慶長十七年、始めて府下に来り、上材木町に住す。家頗る富む。曲全非凡の頴才あり。好んで老壮禅家の書を読み、殊に茶道を嗜み、初め舅中島正員に就きて宗和流を学び、後に原叟の門人と為り、眞台子までをも皆伝す。後に曲全流の一流を開く。当時同門の太郎奄と其名斉しくし、天下の名器・古書画を多く貯ふ。嘗て門人両三輩、曲全を試みんとし、五尺に余れる梅花を手折りて之を贈り、茶を喫せんことを請ふ。曲全かの梅を大桶に挿して水屋に置き、その枝少しばかりを席に覗かしめて茶を点せりと。凡茶道に於ては事に隨みて智を用ふる此の如し。或日曲全が遂に出火あり。両して其家将に危からんとす。時に京都の骨董商偶々府下に止宿せしが、曲全と相識れるを以て、急ぎ之を訪ふ。曲全かゝる急遽の中に毫も憂ふる色無く、珍器あらぱ購はんといふ。商人乃ち旅舎に帰り、松影と呼べる茶人を取り来りて曲全に示す。曲全大に悦び、直ちに数百金を与へて之を購へりと云ふ。その古器鑒識と風流閑雅とは、実に一時に冠たり。従遊する者頗る多し。宝暦八年、齢八十に及ぶも、精力衰へず。元旦に詩を作つて曰く「春曉睡炉辺老来八十年。寒風徹肌骨。唯養気浩然」と。十一年七月十四日没す。年八十三。義翁了智居士と諡す。(名古屋市史)
墓碑銘は「義翁了智居士」。
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川村家墓所 |

川村曲全斎の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
川村玉春斎 |
孫 |
江戸時代中期の茶人、商人 |
名古屋市千種区 |
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川村秋輔 |
孫 |
江戸時代中期の国学者、商人 |
名古屋市千種区 |
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千宗左 |
師 |
江戸時代前期〜中期の茶人、表千家6代家元 |
京都市北区
大阪府堺市 |
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