名前 |
伊藤三橋 |
よみ |
いとうさんきょう |
生年 |
延享四年七月(一七四七) |
没年 |
寛政元年十二月十一日(一七八九) |
場所 |
名古屋市千種区 |
分類 |
書家 |
|
略歴 |
江戸時代中期の書家。延享4年7月生まれ。生年に寛延元年説がある。名は公煕、字は子績、彦三郎又は清記と称す。三橋は其号、別に静観堂の号あり。葭町の賈人なり。幼にして穎悟、儒書を好み、菅博士の門に入りて紀伝の儒生となり、衆の為めに推重せらる詩画及び篆刻を善くす。殊に書道に妙を得たり。初め書を橋本修竹に学び、後其法の古に非らざるを嫌ひ、更に晋質の法帖を摸す。精励研究して、遂に一家を成す。人と為り質朴寡欲、修身娶らず。又生業を問はず。後に城南前津に幽棲し、詩酒自ら嬉む。高朗清昭と諡す。其病革まるや、戯に偈を作つて「狂言綺語.四十二年.咄々咄々.不直半銭」と書し終つて命絶えたりと云ふ。門人尾頭中書・柳沢維賢等あり。其氏の談に、某年中元の前日、三橋世間の燈籠を見、又算盤の音を聞くを煩はしとして、尾頭中書を始め、交友両三宝を拉して八事山に遊び、深更に及びて家に帰れりと。其人と為りの一瑞を見る可し。高朗清照居士。(名古屋市史)
墓碑銘は「伊東子績碑」。
|
伊藤三橋墓所 |
伊藤三橋の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
橋本修竹 |
師 |
江戸時代中期の医者 |
名古屋市千種区 |
|
尾頭広居 |
弟子 |
江戸時代中期〜後期の豪農、書家 |
名古屋市昭和区 |
|
柳沢維賢 |
弟子 |
江戸時代後期の尾張藩士、書家 |
愛知県西春日井郡西枇杷島町 |
|
|
ゆかりの地リンク |
場所 |
住所 |
説明 |
写真 |
極楽寺 |
愛知県名古屋市中区
大須2-5-20 |
安永9年10月に極楽寺で開催された書画会「春興楽事」に作品を出品している。 |
|
|