人物総覧 や 医家 庄内藩 長崎遊学

名前 山口行斎
よみ やまぐちこうさい
生年 天明五(一七八五)
没年 天保三一月十日(一八三二)
場所 山形県鶴岡市
山口県下関市
分類 蘭方医
略歴

 天明五年出羽国庄内で庄内藩士山口沢右衛門(宅右衛門)の次子(4男であるともいう)として生まれた。名を成允、三隅館と号した。行斎は通称である。蘭学および医学を学び、江戸の鳥海良運の弟子となり、西洋医学とオランダ語を学んで,池田玄斎,安食伯高,石井子龍らと交わりを結ぶ。文化4年(1807)11月旗本村越茂助の抱え医師小西良碩の養子となったが故あって離縁,同9年(1812)長崎に赴き水夫となって露命をつなぐこと3年,出島のオランダ商館に勤める。その後,蘭医湊長安,美馬順三および通詞吉雄権之助らから5か年にわたって西洋医術の指導をうけ外科を得意とした。文政2年(1819)馬関(下関)の伊藤杢之丞宅に滞在し同地において開業大いに繁盛して門人百余人に及んだという。同9年(1826)東上途中の蘭医シーボルトに会う機会を得て、オランダ甲比丹ブロンホフに「カレル」の蘭名を贈られた。のちに望郷の念止みがたく鶴岡に帰る途中,大坂で病のため死亡した。享年45。
 鶴岡の墓碑銘は「三隅館春翁行斎居士」
 下関の墓碑銘は「山口行斎之墓」

山口行斎墓所(鶴岡市)

山口行斎の墓(鶴岡市)

山口行斎墓所(下関市:伊藤家墓所)

 
山口行斎の墓(下関市:伊藤家墓所)

山口行斎の墓碑文(下関市:伊藤家墓所)

ゆかりの人物リンク
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ゆかりの地リンク
本陣伊藤宅跡  山口県下関市阿弥陀寺町