名前 |
山澄英重 |
よみ |
やまずみひでしげ |
生年 |
正保四年(一六四七) |
没年 |
享保十八年七月二十六日(一七三三) |
場所 |
愛知県名古屋市千種区 |
分類 |
尾張藩家老 |
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略歴 |
一代で家を興した山澄英竜の嫡男として名古屋に生まれた。初名は英要、長じて主膳・将監・淡路守・数馬と称した。母は寺尾直政の養女祖庭院。寛文二年三月証人として江戸に下り、初めて将軍家綱に謁見する。寛文十二年十二月父英竜の領邑の中三千石を賜り、側同心を経て貞享二年二月家老となり、一千石加増される。同四年十二月従五位下に叙され淡路守に任ぜられる。元禄十二年二月に致仕して城下の下屋敷に住んだ。同十三年十一月に削髪して風残と改名。享保十八年七月二十六日没する。行年八十七歳。法号を陽徳院柳陰風残とする。六男二女あるが、英竜の三男で英重の弟英貞が養嗣となる。
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山澄家墓所 |
山澄英重の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
寺尾直政 |
祖父 |
江戸時代初期の尾張藩家老、徳川義直に殉死 |
愛知県瀬戸市 |
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山澄英貞 |
弟 |
江戸時代中期の尾張藩家老 |
名古屋市千種区 |
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山澄英龍 |
父 |
江戸時代初期の尾張藩家老 |
名古屋市千種区 |
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