名前 |
安岡道仙 |
よみ |
やすおかどうせん |
生年 |
享保十二年(一七二七) |
没年 |
寛政九年七月二十二日(一七九七) |
場所 |
高知県高知市 筆山 |
分類 |
医家・南画家 |
|
略歴 |
正喬道仙は号専白、西涯。父道恂信実は浅井周迪の門で学び、八代豊敷の寛延二年(一七四九)医で召出されて五人扶持十五石留守居組に入り、のち新御扈従格となった。道仙は大阪で医を学び安永元年(一七七二)から奥向御用を勤め、九年(一七八〇)三人扶持二十石御扈従格となり、天明二年(一七八二)父の跡目を嗣ぎ、江戸奥向御用を勤めた。江戸の池大雅・浅井図南に南画を学び、墨竹を得意とした。また笙にも長じ、江戸からの帰途風難に遭って同舟みな色を失った時、平然としてこれを奏して余念がなかったという。
墓碑銘は「安岡道仙正喬墓」。側面に「寛政九丁巳年閏七月二十六日歳」
土佐を代表する豪商櫃屋(はりまや橋は櫃屋と播磨屋の間にかかっていた橋)墓地の隣にありますが、ともに荒れ果てています。
|

安岡道仙墓所
(写り悪くてすいません) |

安岡道仙の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
浅井図南 |
師 |
江戸時代中期の尾張藩士、医者、本草家、浅井家二代、平安四竹の一人 |
名古屋市千種区 |
 |
池大雅 |
師 |
江戸時代中期の画家、書家、日本の文人画の祖。 |
京都市上京区 |
 |
山内豊敷 |
主君 |
江戸時代中期の大名、土佐藩山内家第八代当主。 |
高知県高知市 |
 |
|