人物総覧 や 尾張藩 剣術家 新陰流

名前 柳生流々
よみ やぎゅうりゅうりゅう
生年 文政九年(一八二六)
没年 明治三十八年十一月六日(一九〇五)
場所 愛知県名古屋市千種区
分類 尾張藩士・剣術家
略歴

 名は厳広。通称は六助。尾張藩の剣術師範・柳生新六厳政(明治五年七月十一日没)の二男。父について家芸の剣術を学び、文久二年(一八六二)新たに一家を起す。大番となって十二石三人扶持を給され、元治元年(一八六四)五十俵となる。その後、書院番並・小納戸・中奥小姓等を勤め、足高百俵により、百五十俵となる。吉原黄山について俳句を学び、晩年には陶芸を楽しみ、また竹細工に巧みであった。明治三十八年十一月六日没、八十歳。法号は木人斎天外流々居士。
 墓碑銘は「木人斎天外流々居士」

柳生家墓所

柳生流々の墓

ゆかりの人物リンク
名前 関係 補足 墓所 写真
柳生厳政 幕末の尾張藩士、剣術家(新陰流) 名古屋市千種区
吉原黄山 江戸時代後期の俳人 名古屋市天白区