名前 |
三村蘭斎 |
よみ |
みむららんさい |
生年 |
寛政六年十二月九日(一七九四) |
没年 |
嘉永一年八月十七日(一八四八) |
場所 |
愛知県名古屋市千種区 |
分類 |
尾張藩士 |
|
略歴 |
名は陳錫、字は百夫、通称は平六、商斎は其号なり。日比野厳月の季子にして、林南涯の弟なり。寛政六年十二月九日を以て生る。三村暦斎養て以て嗣となす。蘭斎、天資精敏、少うして国学に入り、文学夙に成り、善く子弟を導く。文政五年明倫堂監生に擢でられ、俸四十苞を給せらる。九年典籍に遷り、俸を加へて五十九苞に至る。天保八年水野代官、兼林奉行となり、十一年佐屋代官に伝ず。至る所治績あり、十二年六月休暇を得て家に在り、会々霖雨、木曾の河水溢るゝを聞き、徒歩して急に赴き、属吏に命じて、土豚を作らしめ、竹本を斬り、水勢の激する所に従て之を塞ぎ、身役夫に先つ。吏民之が為に、力を盡し、因て以て水災を免る。是を以て白銀の賞あり。十四年大代官の班に進み、百苞を給せらる。弘化元年大代官に昇り、四年江州八幡の任に赴く。翌年七月病に罹り、強ひて公事を視る。湯薬を加ふる事月余、危篤に瀕し輿して名古屋に還る。中途にして没す。聞く者流涕せざるはなし、時に嘉永元年八月十七日なり、享年五十五。直峯全心居士。(名古屋市史)
墓碑銘は「三村陳錫之墓」。碑文あり
|
三村蘭斎墓所 |
三村蘭斎の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
林南涯 |
兄 |
江戸時代後期の尾張藩士、明倫堂督学 |
名古屋市千種区 |
|
|