名前 |
松木正介 |
よみ |
まつのきしょうすけ |
生年 |
明治三十七年六月四日(一九〇四) |
没年 |
昭和三十五年二月十日(一九六〇) |
場所 |
山形県鶴岡市 |
分類 |
漢詩人 |
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略歴 |
号は介石・齋里。文人。松木金次郎の長男として鶴岡家中新町に生れる。朝暘高等小学校を卒業して大正10年(1921)から酒井家の学問所文会堂に勤務する。そのかたわら黒崎研堂について書および漢詩を学び、のち同郷の漢詩人土屋竹雨に師事する。戦後は鶴城吟社の同人となる。その後漢詩講座や東北振興研修所の講師として漢詩の指導、普及につとめた。また、昭和25年(1950)ごろから和田光利に自由律俳句を学び、宮柊二が短歌誌「コスモス」を創刊するとその同人となって作歌にもはげんだ。(庄内人名事典より)
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松木正介墓所 |
松木正介の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
黒崎研堂 |
師 |
明治期〜昭和初期の書家、書道王国鶴岡の重鎮 |
山形県鶴岡市 |
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土屋竹雨 |
師 |
大正〜昭和時代の漢詩人、大東文化大学長、芸術院会員 |
山形県鶴岡市 東京都府中市 |
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宮柊二 |
師 |
昭和時代の歌人、短歌誌「コスモス」主宰、芸術院会員 |
新潟県北魚沼郡堀之内町 |
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ゆかりの地リンク |
場所 |
住所 |
説明 |
写真 |
朝暘学校跡碑 |
山形県鶴岡市馬場町9-1 |
卒業 |
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