人物総覧 な 僧侶

名前 南溟紹化
よみ なんめいしょうか
生年 文明五年(一四七三)
没年 永禄五年五月十二日(一五六二)
場所 愛知県名古屋市昭和区
分類 僧侶
略歴

 名は、紹化、臨済宗の僧にして、熱田龍珠寺の開山なり。其俗姓郷里を詳にせず、玉浦宗aに参し、歳三十二にして嗣法す、永正元年玉浦美濃瑞龍寺の席を董す、南溟隨ひて参究すること九旬、浄頭の職を司る、後江南珠栄と共に行脚し、偶織田氏の士卒の狼籍するに遇ひて捕はる、南溟曰く、我一物の汝等に与ふるなし、但だ博識を要せぱ或は用ふる所あらんかと、土卒依りで南溟を拉して尾張に来り、行く行く叫びて物知りを売らんといふ、熱田に至りて人の恠みて問ふ者あり、南溟対ふること初の如し、加藤延隆聞きて之を奇とし、卒に銭一貫文を与へ、自ら南溟の縛を解き、榻を掃ひて之を延き、就いて法を問ふ、南溟法を説き論導す、挙家其学徳に驚款し、日に帰敬を加へ、遂に龍珠庵を創し、請じて開山とす、天文元年に至り官の許を得て臨済山龍珠寺と号す、津田豊後守、甫溟の逍風を聞き、参禅して帰崇し、同国稲葉地村凌雲寺の廃寺に帰せるを開き、南溟を請じて開祖とす、南溟後に綸命を奉じて妙心寺に出世し、永禄五年五月十二日、龍珠寺に寂す、世寿九十、射法の弟子六人、大林、説三、雲峰、器哉、雪庭、弱巷等なり、一脈分派して其流盡きず、延いて三余刹に及ぶ、寛保元年三月二十七日真光周智禅師の諡号を賜ふ。
 墓碑銘は「開山南溟大和尚」。

南溟紹化の墓
  
ゆかりの人物リンク
名前 関係 補足 墓所 写真
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