人物総覧 か 戦国武将

名前 加藤延隆
よみ かとうえんりょう
生年 天明六年四月(一七八六)
没年 元亀二年七月四日(一五七一)
場所 名古屋市千種区
分類 戦国武将
略歴

 隼人佐と称す。後入道して全朔と号す。図書助景繁の第二子なり。荒子城主前田利家の姉を娶る。西加藤の祖なり。熱田大瀬子に住す。甞て南溟和尚を鳥目一貫文にて買取り、天文元年、請じて一寺を建立す。今の龍珠寺是れなり。弘化二年、堯[王愈]権大僧都を請して市場町に喜見寺を開基す。天文八年・十二年織田信秀及び逵勝より諸役免許の證書を賜はる。紹巴の富士見道記に「熱田に入りて急きけるは加藤全朔駿河へ下りけるを延引しての会とて、度々迎ひのあればなり。露わけは分れを思へ宇津の山」と見えたり。元亀二年七月四日卒す。龍珠寺桃溪全朔と諡す。二子あり。長子資景家を継ぐ。次子元隆、別家を起す。(名古屋市史)
 墓碑銘は「龍珠寺殿桃渓全朔居士」。

加藤延隆墓所

加藤延隆の墓
  
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名前 関係 補足 墓所 写真
織田信秀 主君 戦国時代の武将、織田信長の父 名古屋市千種区
南溟紹化 菩提 室町時代〜戦国時代の僧 名古屋市千種区

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