名前 |
豊原重軌 |
よみ |
とよはらしげみち |
生年 |
天和元年(一六八一) |
没年 |
寛延四年七月二十四日(一七五一) |
場所 |
山形県鶴岡市 |
分類 |
庄内藩士 |
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略歴 |
多助・止柳子。祖父の代に酒井忠勝に召抱えられる。重軌がは3歳のとき父が亡くなり一時家禄没収となるが、のちに7人扶持を与えられた。正徳5年(1715)書院目付、享保11年(1726)郡奉行となり100石を給される。享保16年(1731)町奉行、同18年(1733)酒田町奉行を歴任し家禄200石となる。酒田町奉行には寛延3年(1750)まで長期間にわたって在職した。博覧強記で「源氏物語」、「伊勢物語」等の古典に通じ、古歌3000首を暗唱したという。71歳で没した。著書に「塩梅問答」「流年録」「荘内孝子伝」「よしなし草」などがある。
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豊原重軌墓所 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
豊原重芳 |
長男 |
江戸時代中期〜後期の庄内藩士、庄内松山藩付家老 |
山形県鶴岡市 |
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豊原和太治 |
次男 |
江戸時代中期〜後期の庄内藩士 |
山形県鶴岡市 |
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ゆかりの地リンク |
場所 |
住所 |
説明 |
写真 |
酒田町奉行所跡 |
酒田市
本町1丁目
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元和8年(1622)、酒井家が庄内に入部すると酒田町代官を設置、寛永年間酒田町奉行と改称された。亀ヶ崎城代の下で町政の役所として機能していた。明治2年(1869)2月酒田民政局によって廃止された。 |
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