掃苔帳 ち
 尾張藩 陶芸家

名前 千村鵞湖
よみ ちむらがこ
生年 享保十二年(一七二七)
没年 寛政二年六月三十日(一七九〇)
場所 愛知県名古屋市千種区
分類 尾張藩士・陶芸
略歴

 鵞湖とは号で、本名は諸成。通称は総吉で、自適園、大観堂、七楽居などの号をもつ。父は京都買物奉行などの職を勤めた夢沢(良重)。鵞湖は嫡男として生まれるが、夢沢が井出氏の養子となっていたことから、祖父千村弥兵衛に幼い頃より育てられて、その嗣となる。元文元年十二月、三百石を襲禄して馬廻役につく。寛保二年、第八代藩主徳川宗勝の小姓となり、延享四年までの五年間、宗勝に近侍する。しかし、病に倒れてその職を辞した。病気治癒ののち、宝暦年中には先手物頭に登用され、江戸に赴任。安永五年、職を辞す。鵞湖は尾張藩士としての役番の余暇に、瀬戸で自分の作った陶器を焼かせていた。また隠居後、白寿焼と称する陶器などの製作にもあたっていた。寛政二年六月没す。享年六十四歳。著書には、詩・書道などに関する書物がある。将岩伯就居士。
 墓碑銘は「千村伯就翁之墓」。碑文あり。

千村家墓所

千村鷲湖の墓

千村鷲湖の墓(接近)
  
ゆかりの人物リンク
名前 関係 補足 墓所 写真
徳川宗勝 主君 江戸時代中期の大名(尾張藩)、8代 名古屋市東区 残骸のみ
遺骨は瀬戸市
千村夢沢 江戸時代中期の尾張藩士、儒者 名古屋市千種区
千村政時 子孫 江戸時代後期の尾張藩士、狂歌師 名古屋市千種区