名前 |
千村政時 |
よみ |
ちむらまさとき |
生年 |
不詳 |
没年 |
安政四年十月二十一日(一八五七) |
場所 |
愛知県名古屋市千種区 |
分類 |
尾張藩士 |
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略歴 |
赤之御膳。本名は千村政時、藤右衛門と称す、尾張の世臣にして禄四百石を食む。文政六年家を継ぎ、使番、目付勘定奉行等に歴職し、用人格に進めらる。後用人格寺社奉行となり、累りに禄を加へられて八百石に至る。嘉永四年馬廻頭格となり、六年三月致仕す。狂歌を好みて時に名あり。「いく千年ふる上下にふるのしめ今朝もめてたくきみか代の春」は其詠なりといふ。安政四年正月二十一日没す。良俊院顕ー密一居士と法諡す。(名古屋市史)
墓碑銘は「良俊院顕ー成密居士」
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千村政時墓所 |
千村政時の墓 |
千村政時の墓(接近) |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
千村鵞湖 |
先祖 |
江戸時代中期の尾張藩士、儒者 |
名古屋市千種区 |
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千村夢沢 |
先祖 |
江戸時代中期の尾張藩士、儒者 |
名古屋市千種区 |
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