名前 |
田中朝陽 |
よみ |
たなかちょうよう |
生年 |
享保十九年(一七三四) |
没年 |
寛政十一年十二月二日(一七九九) |
場所 |
山形県鶴岡市 |
分類 |
造酒家・国学者・歌人 |
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略歴 |
名は正武・新五郎・徳右衛門、号に田鳳・文鳳・子鳳・西丘・懶叟などがある。田川郡大山村(現在の鶴岡市大山)の富豪田中八郎兵衛吉重の次男として生まれる。田中万春の伯父にあたる。田中家は造酒屋を営み、代々徳右衛門もしくは八郎兵衛と名乗り、年寄役、長百姓役を世襲した。朝陽はその8代目にあたる。延享2年(1745)に父と兄を失い家督を相続。家業のかたわら越後出身の儒者大森子陽のもとで詩文などを学ぶ。芸州藩儒頼春水と交友があり、江戸の漢学者江村北海が編集した「日本詩選」に詩が紹介されるなど、学徳をもってしられる。天明の飢饉には同志とともに、安価で窮民に米を配給し餓死者の発生を防いでいる。(庄内人名辞典より)
墓碑銘は「大泉故郷老朝陽田先生之墓」
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田中朝陽墓所 |
田中朝陽の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
大森子陽 |
交友 |
江戸時代中期の儒家 |
山形県鶴岡市 新潟県三島郡寺泊町 |
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田中万春 |
甥 |
江戸時代中期〜後期の歌人、国学者、幕府に蝦夷地への対処策「禦虜策」を提出 |
山形県鶴岡市 |
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田中政徳 |
孫 |
江戸時代中期〜後期の歌人、国学者 |
山形県鶴岡市 |
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頼春水 |
交友 |
江戸時代中期〜後期の広島藩儒者、昌平黌講師、「芸備孝義伝」を編集 |
広島市南区 |
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