名前 |
伊達探良 |
よみ |
だてたんりょう |
生年 |
天保四年(一八三三) |
没年 |
明治七年二月六日(一八七四) |
場所 |
山形県鶴岡市 |
分類 |
絵師 |
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略歴 |
名は秀三・守素・素淵、号は探良斎・夢庵・秀夢庵。庄内藩右筆伊達鶴陵の子。絵に長じ弘化2年(1845)13歳のとき江戸の絵師狩野探淵に学んだ。安政年間に幕府が外国と条約を締結するに当り、使節への贈り物として探良の絵が用いられたという(本当でしょうか?)。慶応2年(1866)1月庄内に戻り家督を継ぐ。戊辰戦争では秋田口に出陣している。明治6年(1873)41歳で隠居し絵を描いて余生を送るが翌年死没。42歳。(庄内人名辞典より)
墓碑銘は「探良先生之墓」
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伊達探良墓所 |

伊達探良の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
伊達鶴陵 |
父 |
江戸時代後期の能書家、庄内藩右筆 |
山形県鶴岡市 |
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狩野探淵 |
師(絵) |
江戸時代後期の絵師、鍛冶橋狩野家8代。 |
東京都大田区 |
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