名前 |
高橋玄仙 |
よみ |
たかはしげんせん |
生年 |
延宝七年四月八日(一六七九) |
没年 |
元文四年七月十三日(一七三七) |
場所 |
愛知県名古屋市千種区 |
分類 |
尾張藩医 |
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略歴 |
名は勝俊、寛済軒と号す。玄仙は共通称なり。父を瀬左衛門勝盛といふ。児玉氏の女を娶りて、延賓七年四月八日、玄仙を伊勢度会郡一之瀬村に生む、玄仙幼より志を医学に専らにし、後屈を尾張に移す、享保四年十二月、国侯継友召して医官となし、俸八十石を賜ふ。五年釆地三百石を賜ひ、七年又五十石を加賜す。殊恩優渥なり、元文四年七月十三日、江戸の官舎に没す、享年六十一。慈眼院無医還仙居士と法諡す。(名古屋市史)
墓碑銘は「高橋寛済軒先生之墓」。碑文あり。
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高橋玄仙の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
徳川継友 |
主君 |
江戸時代中期の大名(尾張藩)、6代 |
名古屋市東区 残骸のみ
遺骨は瀬戸市 |
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松井寿安 |
弟子 |
江戸時代中期の医家 |
名古屋市千種区 |
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