名前 |
鈴木才造 |
よみ |
すずきさいぞう |
生年 |
文政六年?(一八二三) |
没年 |
明治二十四年一月二十六日(一八九一) |
場所 |
愛知県名古屋市千種区 |
分類 |
材木商 |
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略歴 |
才叟、又在草庵と号す、小字は源三郎、名古屋伝馬町の商八一屋小八の子なり、鈴木氏に養はれて惣九郎と称し、家を継ぐに及びて惣兵衛と改む、鈴木氏は世々材木商にして、俗称材惣を以て知らる、五世惣兵衛、初め惣助と称し、退隠の後了真と号す、人となり膽略ありて商機に敏なり、文化の初名古屋東本願寺別院再建の事あるや、菩提寺に詣りて、己れ一代改宗の允許を得、乃ち真宗の信徒となりて京に赴き、法主達如に謁し、名古屋別院再建に要する所の木材は、悉く之を納るゝの約諾を得て還り、直に木曾山林を買収して巨利を博せり、義子惣兵衛、家を継ぎて六世の主となり、次子は別に家を分ちて木屋惣三郎と称し、退隠の後松蔵と改む、共に遊蕩に耽り豪奢の遊をなし、家運漸く将さに傾かんとす、六世惣兵衛一男一女あり、男は早世す、依りて其女を以て才造に配し、以て家を継がしむ、才造慧敏にして明識あり、善く其業を勉め、孜々として家運を挽回す、慶応三年洋物改所の設けらるゝや、才造之が締方となる、又伊藤、関戸、花井の諸氏と共に通商会所を起し、或は為替会社を創め、明治維新後の実業、経済の発展に資す、而して業務の暇、明治初年新刊の著書は概ね購ひて之を読み、以て世の大勢に通ずるに務めたり、医て時世の変遷を察して、横浜より鳥銃数千を購ひ、忽ち一万両を利す、又人と共に米穀を買ひて、各々八千両の利を博す、而して其益する所の金を以て資本となし、別に店舗を設けて綿絲の輸入を創む、偶々之が為に損を招き、失ふ所四万両に達す、然も以て多く意となさず、八年三月家を養子ハ兵衛に護り、前津龍門の別荘に隠退して更めて才造と称し、専ら茶事を以て楽とす、龍門園は昔俳人曉台の経営に係り、文久中才造の買ひて別業とせる所なり、明治二十四年一月二十六日没す、享年六十九、龍門顕徳居士と法諡す。
墓碑銘は「龍門顕徳居士」
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鈴木才造墓所 |
鈴木才造の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
達如 |
拝謁 |
江戸時代後期の僧、真宗大谷派20世。 |
京都市東山区 |
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ゆかりの地リンク
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