名前 |
重田鉄矢 |
よみ |
しげたてつや |
生年 |
明治三年二月三十日(一八七〇) |
没年 |
昭和十九年九月八日(一九四四) |
場所 |
東京都府中市 |
分類 |
郷土史家 |
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略歴 |
範直。致道館助教兼典学重田新次郎(範正)の長男。鶴岡四ツ興屋に生まれる。明治14年(1881)朝暘小学校に入学したが、のち退学し父のもとで漢籍を学ぶ。翌年黒崎研堂の門に入り、漢詩文および書を習う。また寄合と称する夜学で漢学を修める。明治23年(1890)仙台歩兵第十七連隊に入営、その後数度の召集を経て、同38年(1905)曹長。この間日清戦争末期の従軍記録「渡清日誌」をまとめた、また明治26年(1893)より荘内中学校の助教諭をつとめており、同40年(1907)西田川郡書記に転じ郷土史の研究に没頭し、その成果として大正元年(1912)「庄内史料」を編纂刊行した。大正6年(1917)東京に転居して、東京火災保険鰍ノ勤務することになったが、ここでも庄内史料研究会を主宰し庄内地域の郷土資料を収集し研究に励んだ。75歳で死亡した。(庄内人名事典)
墓誌に「慎徳院鐵翁悦道居士」
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重田家墓所 |
重田鉄矢の墓 |
墓誌 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
黒崎研堂 |
師 |
明治期〜昭和初期の書家、書道王国鶴岡の重鎮 |
山形県鶴岡市 |
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重田新次郎 |
父 |
江戸時代後期の庄内藩医、維新後教員 |
山形県鶴岡市 |
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中台元 |
師 |
江戸時代後期〜明治中期の漢学者 |
山形県鶴岡市 |
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ゆかりの地リンク |
場所 |
住所 |
説明 |
写真 |
朝暘学校跡碑 |
山形県鶴岡市馬場町9-1 |
中退 |
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