名前 |
重田新次郎 |
よみ |
しげたしんじろう |
生年 |
天保五年(一八三四)七月 |
没年 |
明治二十六年(一八九三)十二月十九日 |
場所 |
山形県鶴岡市 |
分類 |
庄内藩士・教師 |
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略歴 |
範正・安太夫・以敬。庄内藩医重田範耕(道吉)の次男として鶴岡に生れた。兄道沢の死により家を継ぐ。文久2年(1862)江戸に上り名医多紀養春院(誰?)のもとで医学を修行するが、翌年病のため鶴岡に戻る。慶応3年(1867)藩命により江戸に赴き、大鳥圭介に入門して洋学・兵法を学んだ。翌4年2月銃隊指図役となって5人扶持、4月銃隊頭支配として戊辰戦争に出陣し、新庄・越後で転戦し、次いで石原多門に従い米沢への使者をつとめた。明治元年(1868)12月新整隊取扱役、西洋学所取締役を歴任。明治4年(1871)9月藩校致道館の典学兼助教となり併せて地盤掛を命ぜられた。翌年松ケ岡開墾に参加する一方、御小屋英学所の取締役もつとめ、翌7年以降新設小学校の教員を歴任した。60歳で没。(庄内人名事典より)
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重田家墓所 |
重田鉄矢の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
石原重雄 |
使者 |
幕末の庄内藩士、明治期の銀行家 |
山形県鶴岡市 |
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大鳥圭介 |
師 |
幕末の幕臣、幕府歩兵奉行、維新後外交官、枢密顧問官、男爵 |
東京都港区 |
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重田鉄矢 |
長男 |
明治期〜昭和期の郷土史家、庄内史料研究会を主宰 |
東京都府中市 |
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ゆかりの地リンク |
場所 |
住所 |
説明 |
写真 |
松ヶ岡開墾場 |
山形県東田川郡羽黒町猪俣新田 |
松ケ岡開墾に参加 |
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