名前 |
小見山順友 |
よみ |
こみやまじゅんゆう |
生年 |
享保十年八月十日(一七二五) |
没年 |
安永五年十二月十二日(一七七六) |
場所 |
愛知県名古屋市昭和区 |
分類 |
尾張藩士・本草学者 |
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略歴 |
通称は宗法、春[垈]と号す。祖吉久曾て浅野幸長に仕へ、高原夫人の腰臣となりて始めて尾張に来る。其子吉政祝髪して道休と称し藩の侍医となり、子孫世々藩に仕ふ。吉政の弟宗法、筮仕することを願はず、家居して医を業とす。尾張侯光友殊に眷遇して鳥犀円の方を賜ひ、泛く国中の民庶に施し、且つ官符を給ひ、施薬者をして郡県を経歴し往来自由ならしむ。盖し殊恩なり、順友は其孫にして、享保十年八月十日府下玉屋町の家に生る。人と為り温潤清雅、人貴賤となく善く之を遇し、遂に忤色無し。医を善くして学を好み、松平君山に従遊すること年あり。博物を以て務となし、毎月八日君山を其私事に請し、諸子を会して本草の講を聴くこと、連年懈らず、且つ滑稽を好み、時に佳句を裁して人口に膾灸す。安永五年(一七七六)十二月十二日没す、享年五十二。
墓碑銘は「憲章院透山宗関居士」。碑文あり。
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小見山順友の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
松平君山 |
学友 |
江戸時代中期の尾張藩士、儒者、書物奉行 |
名古屋市千種区 |
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