名前 |
栗本節安 |
よみ |
くりもとせつあん |
生年 |
天保十一年十一月(一八四〇) |
没年 |
明治四十三年十月(一九一〇) |
場所 |
山形県鶴岡市 |
分類 |
医師 |
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略歴 |
田川郡大山に医家栗本良意の長男として生まれる。安政元年(1854)15歳のとき米沢の医家水野道益のもとで医術を学ぶ。安政5年故郷大山でコレラが蔓延すると父に呼び戻され帰郷して治療に従事した。元治元年(1864)横浜に出て宣教師ヘボンに西洋医学を学ぶ。翌慶応元年(1865)には蘭医伊藤玄朴のもとで修業し代診をつとめた。のちに内外科医開業の免状をうけて帰郷、県・郡の検疫医を命ぜられその後大山で開業する。近代的医術を施して好評を得、患者殺到して門前市をなしたという。三十余年間警察医を兼ねた。医業のかたわら漢詩をたしなみ、71歳で没し大山専念寺に葬られる。医学者栗本東明の兄。(庄内人名辞典)
墓碑銘は「栗原進徳君之墓」
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栗本節安の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
J.C.ヘボン |
師(医) |
19世紀後期〜20世紀初期の宣教師、医師、語学者、アメリカ人、和英辞典「和英語林集成」(日本初)、ヘボン式ローマ字を普及 |
アメリカ合衆国ニュージャージー州イーストオレンジ |
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伊東玄朴 |
師(医) |
江戸時代後期〜明治初期の蘭方医、幕府奥医師、西洋医学所取締 |
東京都台東区 |
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栗本道察 |
祖父 |
江戸時代中期〜後期の医者 |
山形県鶴岡市 |
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栗本東明 |
弟 |
明治期〜大正期の医学者、熊本五高の教授、大森病院院長 |
東京都港区 |
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栗本良意 |
父 |
江戸時代後期〜明治初期の医者 |
山形県鶴岡市 |
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ゆかりの地リンク |
場所 |
住所 |
説明 |
写真 |
ヘボン博士邸跡 |
神奈川県
横浜市中区
山下 |
文久2年(1862)の冬に居留地39番に住居を新築し、ここで診療や日本初の和英辞典「和英語林集成」の出版、聖書の翻訳などを行った。
栗本節安は元治元年(1864)年に横浜のヘボンのもとを訪れ医学を学んでいる。 |
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