名前 |
工藤恒治 |
よみ |
くどうつねじ |
生年 |
明治二十八年九月十九日(一八九五) |
没年 |
昭和五十八年十月七日(一九八三) |
場所 |
山形県鶴岡市 |
分類 |
作家 |
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略歴 |
鶴岡馬場町に生れる。大正3年(1914)荘内中学校を卒業。大正5年山形県師範学校第二部を終えて渡前小学校訓導となり、その後各小学校を経て横川小学校長となり、鶴岡の新制第一中学校に勤務した。教職のかたわら地方文芸雑誌等に投稿をはじめ、「思林」「容光」等に健筆をふるい、芭蕉、高山樗牛、斎藤野の人、田沢稲舟らの研究家として知られた。また俳句・短歌をたしなんで、大正11年結城健三とともに「行人」を刊行、同年上野甚作らと短歌会を開く。昭和3年(1928)教育視察のため中国・満州・朝鮮を旅行し、翌年句集「母死にたまふ」を刊行、昭和10年、朝暘第一小学校在職中に「郷土主義学級経営の実際」を執筆刊行する。のち山添高校、鶴岡南高校、鶴岡保育専門学校の講師となる。昭和33年11月第1回高山樗牛賞受賞。主な著書に「文豪高山樗牛」「斎藤野の人」「田沢稲舟」「農民歌人上野甚作」「出羽三山の文学」「横光利一とやまがた」「碩学斎藤芦汀」などがある。(庄内人名辞典)
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工藤恒治墓所 |
工藤恒治の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
上野甚作 |
交友 |
明治期〜昭和初期の歌人 |
山形県鶴岡市 |
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斎藤治兵衛 |
研究 |
明治期〜昭和初期の郷土史家、俳人、玄々堂芦汀 |
山形県鶴岡市 |
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斎藤野の人 |
研究 |
明治期の評論家、高山樗牛の弟 |
静岡県清水市 |
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高山樗牛 |
研究 |
明治期の,評論家、雑誌「太陽」主幹、ニーチェ、日蓮に傾倒 |
静岡県清水市 山形県鶴岡市(旧墓石) |
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田澤稲舟 |
研究 |
明治期の小説家、「医学修業」、「五大堂」など |
山形県鶴岡市 |
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松尾芭蕉 |
研究 |
江戸時代前期の俳人、「甲子吟行」「野ざらし紀行」「おくのほそ道」「冬の日」「猿蓑」 |
滋賀県大津市 日本中に芭蕉塚がある |
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横光利一 |
研究 |
大正〜昭和期の小説家、新感覚派運動を展開、「上海」、「旅愁」(未完)など |
東京都府中市 |
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