掃苔帳 き 尾張藩 儒学者・国学者 漢詩人

名前 木下蘭皐
よみ きのしたらんこう
生年 天和元年(一六八一)
没年 宝暦二年八月六日(一七五二)
場所 名古屋市千種区
分類 尾張藩士・漢学者
略歴

 江戸時代中期の漢学者。尾張(愛知県)中村の人。名は実聞,字は公達,希声、通称は宇左衛門。蘭皐,玉壺真人と号す。尾張藩士。はじめ京都で岡島冠山に華音(中国語)を学び,のちに江戸に出て荻生徂徠に師事。享保4(1719)年,朝鮮通信使来日の際,同僚朝比奈玄洲と共に名古屋宿泊所での接待を命じられ唱酬,一躍その名が広まった。その度の唱和集『客館粲集』や次度の通信使との唱和集『星余轟』にその華音の才が現れている。また、詩文集『玉壺詩稿』に付された数多くの人々の漢詩によって,幅広い交遊の一端を窺い知ることができる。七十二歳で没。蘭皋文孝。
 墓碑銘は「蘭皐先生神道碑」


木下蘭皐の墓

木下蘭皐の墓(接近)
  
ゆかりの人物リンク
名前 関係 補足 墓所 写真
朝比奈玄洲 同僚 江戸時代中期の儒者 名古屋市千種区 見あたらず
岡島冠山 江戸時代中期の儒者 京都市東山区から改葬
荻生徂徠 江戸時代前期〜中期の儒者 東京都港区