名前 |
小野勘左衛門 |
よみ |
おのかんざえもん |
生年 |
生年不詳 |
没年 |
元禄四年七月二十七日(一六九一) |
場所 |
名古屋市千種区 |
分類 |
尾張藩士・馬術家 |
|
略歴 |
名は重元・重長、通称勘左衛門。当時、日置流竹林派弓術の天下一星野勘左衛門、鷹匠の富田勘左衛門、大坪流馬術の小野勘左衛門をもって、尾張の三勘左と称された逸材。奥州に生まれを仙台藩の由井嘉右衛門より大坪流馬術家を伝授。正保3年、尾張藩祖徳川義直に召し出され、扶持五人分を賜る。二代藩主徳川光友にも知遇を得て、馬乗となり知行高二百石を賜った。勘左衛門はわかい頃負った怪我により片手が不自由であったが、乗馬の時には手綱を腕頭で絶妙に制御したという勘左衛門の子孫は相継いで馬乗となり、代々の藩主に仕え大坪流馬術の師となった。(三百藩家臣人名事典など)
墓碑銘は「休庵全達居士」
|
小野家墓所 |
小野勘左衛門の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
星野勘左衛門 |
尾張三勘左 |
江戸時代前期の尾張藩士、弓術家(日置流竹林派)、三十三間堂の通し矢で天下一、尾張三勘左の一人 |
名古屋市千種区 |
|
富田勘左衛門 |
尾張三勘左 |
江戸時代前期の尾張藩鷹匠、尾張三勘左の一人 |
情報求む |
|
|