名前 |
岡田帯刀 |
よみ |
おかだたてわき |
生年 |
天保六年(一八三五) |
没年 |
慶応三年五月九日(一八六七) |
場所 |
愛知県名古屋市千種区 |
分類 |
尾張藩士・剣術家 |
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略歴 |
名は利惇。初め安次郎のちに十松とも称す。伝来の号は撃剣館。実父は尾張の山下正吉。江戸の岡田十松利章について神道無念流を学び、後にその養子となる。岡田家は水戸藩から禄米を贈られて上士なみに遇されていたが、帯刀はこれを辞した。下野の那須温泉に浴し、黒髪山に登って門流の繁栄を祈っていたとき、たまたま神感があって鎌法の妙を悟ったという。おそらく山岡流鎌術と称する鎖鎌を誰かに学んだのではあるまいか。奥羽越の間を歴遊すること七年にして江戸に帰る。元治元年(一八六四)尾張藩に仕え、後に書院番として俸米五十俵、足高を合わせて八十三俵を給される。また明倫堂の剣術教授をつとめた。慶応三年五月九日没、三十三歳。法号は護良院仁山義秀居士。
墓碑銘は「撃剣舘岡田先生墓」。碑文あり。
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岡田帯刀墓所 |

岡田帯刀の墓 |

岡田帯刀の墓(接近) |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
岡田利章 |
師 |
江戸時代後期の剣術家 |
埼玉県羽生市 |
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