名前 |
市橋新内 |
よみ |
いちはししんない |
生年 |
生年不詳 |
没年 |
安永三年九月十三日(一七七四) |
場所 |
名古屋市千種区 |
分類 |
尾張藩士・剣術家 |
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略歴 |
新関口流祖。尾張藩士。名は寛利。字は間泰。如蘭と号す。市橋昌利(三百石)の二男。新陰流剣術および新心関口流居合術を吉田作兵衛正房に、止心流(居合・捕手・組打など)を水野治兵衛致真にそれぞれ学んでこれに達し、新関口流と称す。門人がきわめて多く、新内の子孫がこれを教授した。享保十五年(一七三〇)五人扶持を給されて竹腰志摩守の同心となり、のち百五十石に加増される。永年にわたって藩内の松平君山に師事して学問を受け、また写生画にたくみであった。安永三年九月十三日没す。法号は自寛院蘭庭宗薫居士。(剣術家人名辞典)
墓碑銘は「自寛院蘭庭宗薫居士」。碑文あり。
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市橋新内墓所 |

市橋新内の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
松平君山 |
師 |
江戸時代中期の儒者、書物奉行 |
名古屋市千種区 |
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水野治兵衛 |
師 |
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吉田作兵衛正房 |
師 |
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