名前 |
石井梧岡 |
よみ |
いしいごこう |
生年 |
弘化四年七月二十七日(一八四七) |
没年 |
明治三十七年五月二十九日(一九〇四) |
場所 |
名古屋市千種区 |
分類 |
医者 |
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略歴 |
名は彭、字は鏗期、希腎、通称は栄三、梧岡は号。父は尾張藩医師隆葊。幼少から学問を好み、森春涛に詩を学ぶ。明治4年五等医となり、書籍出納を取り締まった。その後愛知医学校の教官などをつとめた。五十八で没した。
墓碑銘は「梧岡軒安誉栄俊居士」
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石井梧岡の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
石井隆葊 |
父 |
江戸時代後期~明治初期の医学者 |
名古屋市千種区 |
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森春濤 |
師 |
幕末・明治期の漢詩人、明治詩壇の指導者、茉莉吟舎 |
東京都府中市 |
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ゆかりの地リンク |
場所 |
住所 |
説明 |
写真 |
尾張医学校跡 |
愛知県
名古屋市中区
栄2-19 |
明治6年(1873)11月に、西本願寺別院内に医学講習所を設けたのが始まり。明治10年7月、中区天王崎に移転し愛知県立医学専門学校と改称した。更に大正3年(1914)3月、中区鶴舞町に移転し、大正9年愛知医学大学に昇格。今日の名古屋大学医学部の前身にあたります。 |
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