名前 |
石原存古斎 |
よみ |
いしはらぞんこさい |
生年 |
享保十七年(一七三二)? |
没年 |
文化三年八月二十九日(一八〇六) |
場所 |
名古屋市千種区 |
分類 |
俳人 |
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略歴 |
唯阿と号す、通称六之右衛門犬山成瀬氏の家士なり。同藩宮原某、故ありて父子自殺す。六之右衛門其事に関し、退隠して名古屋城北中杉村に閑居し、名を助給と改む。庵に太一の額を掲げ、存古斎唯阿と号す、俳諧を白梵庵馬洲に学び、其高足たり、性頗る酒を愛し、常に杯酒に親しむ。晩に木像を作る。左右酒壷と杯とを手にするものなり。後中風に罹り、文化三年八月二十九日、年七十五にして没す。存古斎向西入道称誉助給唯阿居士と法諡す。(名古屋市史)
墓碑銘は「散花を南無阿彌陀仏と夕かな 伊勢の長官荒木田守武の辞世なり愚老此外に全く別意を存せす候以上 存古斎」
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石原存古斎墓所 |
石原存古斎の墓(接近) |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
榎本馬州 |
師 |
江戸時代中期の俳人、成瀬家家臣、「秋の水」 |
愛知県犬山市 名古屋市北区 |
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太一庵快台 |
弟子 |
江戸時代後期の俳人 |
名古屋市千種区 |
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