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日時: 2006/05/29 22:28:24
名前: もへい
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名前: もへい
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ついこの前大村藩大村伯爵家の墓所に行ってみましたらガレキの山の化していたので管理事務所に問い合わせた所長崎県大村市の菩提寺本経寺にすべて改葬したそうです。
「江戸大名旗本の墓」という本に青山墓地に
久居藩藤堂家の墓と延岡藩内藤家の墓所があると
書いてあったのですが見付かりません。
所在をご存知の方どうか御一報願います。

日時: 2006/05/13 12:28
名前: もへい
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名前: もへい
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いぬさま。
青山霊園内の飼い主、上野英三郎氏の墓所に
あります。小さい家型の墓碑で時々花がいっぱいある時があります。
場所は警視庁墓地の裏手で1ロ-6-12に墓所があります。


日時: 2006/04/11 15:02
名前: 母里三十四
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名前: 母里三十四
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お願いがありす。
この掲示板では充分に書き込みが出来ませんので、本「著名人の墓碑録」の<229頁>に私のメールが書いてありますので、そこに連絡してして下さい。お待ちしています。

日時: 2006/04/11 13:31
名前: もへい
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名前: もへい
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母里三十四さま。
つい最近青山霊園で発見しました。
確かその日は山下泰氏の葬儀をやっていて宇宙戦艦ヤマトの主題歌を演奏していました。
今度出す「追録」に華族家の墓碑はどのぐらいあるか教えてください。
あれに載っている以外の華族家の墓碑なら数多く知っています。


日時: 2006/04/10 17:27
名前: もへい
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名前: もへい
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母里三十四さま。
取材ご苦労さまです。
木越安綱のお墓の情報有難うございます。
前回調査に行ったとき花見客がかなりいて不便だったのを覚えています。
今度再訪日に真っ先に確認に行きたいと思っています。
これからもどうぞ宜しくお願いします。

日時: 2006/04/10 13:14
名前: 母里三十四
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名前: 母里三十四
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しばらく行くと右側に<1ロ3−自1至5側>の標識があり、その一つ手前の通路に立ち、上を見ると高い木が見える。現在は葉はついていない。この木の生えている所が(木越家の墓地)てす。墓地には左に木越家の墓、右に木越安綱の墓があります。
坂を下る入口の通路右側に<小林家>左側に<吉田家>があります。念のため。

日時: 2006/04/10 12:59
名前: 母里三十四
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名前: 母里三十四
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木越安綱家の墓の位置について
西三通り(左は1イ3と右は1イ1の間の通路)を行くと、左側に<1ロ3−自1至5側>があるので左へ入る

日時: 2006/04/06 21:40
名前: もへい
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名前: もへい
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母里三十四さま。
本に1ロ3-5とあったのですが、その道自体に表示が無かったので探しづらく感じました。
至○とか自○とか難しいですよね。



日時: 2006/04/05 22:01
名前: 母里三十四
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名前: 母里三十四
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木越安綱の墓所が見つからなかったとのことですが、「青山霊園案内図」を見て下さい。
西三通り(1イ1号と1イ3号の間の道)を行くと左側に1ロ3号があります。一番下まで下っても行けますが、<1イ3−6>の所を左の入ると、右側が1ロ3号があり、道は下り坂になっています。
木越家の墓は、三分の一ほど下ったところにあります。昨年までは、木が生い茂っていて、探しにくかったかも知れませんが、今年は木が伐採されていて、はっきり見えます。ただ、太陽の光線の具合で墓石の字は見ずらいかも知れません。
それでも、探せなかったら、もっと具体的にメールします。今週末ごろ出掛けますから、それまでお待ち下さい。

日時: 2006/04/05 20:35
名前: もへい
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名前: もへい
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土佐川さま。
あると書かれていたのですが見つかりませんでした。
その辺りを10分ぐらいぐるぐる回って探しましたが見つかりませんでした。
墓形やその墓域に何基ぐらい墓があるか分かる方御一報願います。


日時: 2006/04/05 12:14
名前: もへい
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名前: もへい
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霊園内にあるらしい陸軍中将で陸軍大臣の木越安綱
男爵の墓碑を探していますが見つかりません。
もしかしたら見逃しの可能性がありますが現在の状況を知っている方、どうかご一報願います。



日時: 2005/11/30 23:09
名前: 高遠さくら
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名前: 高遠さくら
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もへいさま。
多分、旧石は、廃棄されたものと思われます。
試験が終わったら、ゆっくり見学に行って見てください。
テスト、がんばってくださいね。

日時: 2005/11/30 20:42
名前: もへい
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名前: もへい
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高遠さくらさま。
やはり改修でしたか。
そこで工事関係者に聞けば良かったですね。
来週からテストなのでまたこのサイトに来れないのはとても残念です。

日時: 2005/11/27 20:40
名前: 高遠さくら
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名前: 高遠さくら
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今日、三ヶ月ぶりに青山霊園へ行ってきました。
もへいさまの情報による四條男爵家の墓所を確認してきました。
同所には、すでに旧石は無く、四條家の合祀墓が一基、新設されていました。
「四條家之墓」 裏面「平成十七年十月 四條隆彦建之」
墓形は、角石墓で、横に合祀された六霊の法名・俗名・没年が列記されています。
四條男爵家の現当主は隆元氏で、同墓の建造者である隆彦氏は隆元氏の弟にあたります。
大名家と同様に、公卿の各家も各所に墓所が散在しており、当主が一人で各墓所の祭祀を継承することは困難であるために、長男の隆元氏が二尊院の墓所を継承し、同所を三男の隆彦氏が継承され、以降、分家する四條隆彦家の墓所地となると考えられます。
と、いうことは、初代隆平先室墓のある上善寺は、二男が継承?

日時: 2005/08/25 20:45
名前: 高遠さくら
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名前: 高遠さくら
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五輪塔さま。
いつも、ありがとうございます。
好古の墓碑も、再建墓でした。
先日、大多喜の良玄寺に本多家の墓所を調べに行ったのですが、本堂の左墓地に松平家の墓碑8基(5基は江戸期)を発見しました。
多分、大多喜大河内(松平)家からの支流で、家臣となった家系と思われるものの、該当者が「寛政譜」に見当たりませんでした。
