トップページ > 記事閲覧
島津家関連
日時: 2006/09/18 15:10:34
名前: 佐多
参照:
昨日、国会図書館で佐土原藩史(改訂版)を閲覧してきました。略系譜は人名が網羅されてますが但し、忠亮二女貴子が抜けてます。
島津忠将 法名:心翁大安居士
島津以久 法名;高月院(殿前典厩)照誉宗恕居士(大雲院、高月院)典厩は右馬頭の唐名 母は佐多上野介忠成女
島津彰久 法名:天宗慈雲大禅定門
島津忠興 法名:青蓮院(殿前典厩)崇誉原隆居士(新知恩寺)
島津久雄 法名:見光院(殿前但州)真誉隆厳居士(新知恩寺)
島津忠高 法名:松厳院(殿前飛州)隆誉崇雲良心居士(新知恩寺)
島津久富 法名:善性院(殿)進山恕精居士(大光寺)
島津久寿 法名:青原院(殿)篤誉勇信義哲居士(幡随院)
島津惟久 法名:自得寺?(殿前淡州)史竜淵道水大居士(大光寺)
島津忠雅 法名:仁寿院(殿前加州)忍斉慈照大居士(大光寺)
島津久柄 法名:法林院(殿前但州)猛誉宗哲勇進大居士(高月院)
島津忠持 法名:徳寿院(殿前淡州)仁誉崇興翫山大居士(高月院)
島津忠徹 法名:徳元院(殿前飛州)真誉実道鶴山大居士(幡随院)
島津忠寛 法名:忠愛院殿正寛良道大居士(東北寺)

新知恩寺は幡随院の寺名なんでしょうか?江戸にあったようですが、検索しても出てこないです。どなたかご存知ないでしょうか?
記事編集 編集

Page: | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 |

Re: 島津家関連
日時: 2006/02/01 08:25
名前: 掃苔家
参照:
追伸。旧高見馬場住人末裔さま。
ご先祖は18世紀前半に都城から鹿(麑)府へ移って高見馬場に居住されたようですが「鹿児島城下絵図散歩」高城書房に城下士等4000の人名、寺院の一覧表があります。
記事編集 編集
Re: 島津家関連
日時: 2006/02/01 08:17
名前: 掃苔家
参照:
薩摩の郷土史研究家 改め 掃苔家です。
旧高見馬場住人末裔さま。郡元墓地や武岡墓地の調査に加え、草牟田(そうむた)墓地、興国寺墓地、露重墓地、坂元墓地の調査をお勧めします。草牟田墓地は鹿児島県で最大の墓地で約1万基の墓があります。興国寺墓地は島津家ほか家臣、古い墓が多く、歴史の宝庫です。
記事編集 編集
Re: 島津家関連
日時: 2006/02/01 01:29
名前: 旧高見馬場住人末裔
参照:
佐多さま、
ご返事有難うございます。鹿児島に赴き郡元墓地や武岡墓地を調査したいものです。唯一南林寺から搬入した天明期に刻まれた当家の石碑によると18世紀前半に都城から鹿府へ移った様です。多少の手がかりしかないですが県史料など紐解くと過去が新鮮に思えます。
過去がわかると不思議と未来の見通しが利くような気がします。
記事編集 編集
Re: 島津家関連
日時: 2006/01/31 23:52
名前: 佐多
参照:
旧高見馬場住人末裔さま
そうですね。私も非情に苦労しています。母が後妻の子供なので随分年が離れていて、知っていそうな人は亡くなっています。
由緒墓などは近隣の墓所へ移転している場合があるそうです。武岡墓地などは笑岳寺跡の墓が一部あるそうです。東郷平八郎父の墓などがあります。郡元墓地には池上四郎墓、鎌田正純墓などがあります。露重墓地には桂久武墓、奈良原喜左衛門墓などがあるようです。
都内の佐多さまは佐多家八代の二男忠真流の末裔の方だと思います。佐多二男家として島津家へ仕えています。佐多越後守忠増が有名で百次地頭職、島津久保へ付属され小田原陣へ出陣しています。後に城下士となっています。私の家は知覧で1700年以降佐多姓を名乗らせてもらえず達山と名乗っていました。(明治期に復姓)城下士は直臣なので佐多姓のままです。陪臣でも特別な由緒がある家は佐多姓でした。
記事編集 編集
Re: 島津家関連
日時: 2006/01/31 18:05
名前: もへい
参照:
佐多さま。

返事が遅れました。

又十郎家についてありがとうございます。
またよろしくお願いします。
記事編集 編集
Re: 島津家関連
日時: 2006/01/31 00:43
名前: 旧高見馬場住人末裔
参照:
佐多さま、
先祖を辿るのも難しいです。
四代まえは斉彬公史料に奥医師として確認できます。
その先を追うのは難しいです。。。廃仏毀釈や戦災、都市開発がなければと思います。
都立杉並高校の同窓で佐多君という人がいましたが、ひょっとしてご親戚ですか??
記事編集 編集
Re: 島津家関連
日時: 2006/01/16 20:52
名前: 佐多
参照:
もへいさま
総合スレッドにも記載されていると思いますが、佐土原島津家の分家で又十郎家と呼ばれていたそうです。(二代忠興公の三男久遐より始まる筆頭一門家、高600石)
久遐−久喜−久龍=久奉=久智=久充−又次郎(久?)=久風=久之(さつまの姓氏:川崎大十著)
忠韶氏の継室久子様が墓碑に追加されていましたね。106歳で亡くなったそうです。
記事編集 編集
Re: 島津家関連
日時: 2006/01/16 20:23
名前: もへい
参照:
昨日、広尾の東北寺に行ってきたのですが、旧佐土原藩の島津家の墓を見てきたのですが系図を持っていないので判りませんでした。
続柄は次の通りです。
 島津久純
 島津久之
 島津久成
 島津久敬
記事編集 編集
Re: 島津家関連
日時: 2006/01/11 00:13
名前: 高遠さくら
参照:
佐多さま。お久しぶりです。

さて、加治木の長年寺跡にある島津重豪公のご生母・島津都美の読み方ですが、「加治木町文化財マップ」をみると、「とみ」とフリガナされています。
また、島津宗家の資料を見ると、「於富」と記されておりますが、「とみ」と読むことには間違いないと思われます。

五輪塔さま。
お手数をかけますが、「掃苔総合スレッド」NO259を削除してくださいますようお願いいたします。
記事編集 編集
Re: 島津家関連
日時: 2006/01/09 22:55
名前: 佐多
参照:
難しい質問ですね。
都はト、ミ、ミヤコなどと読みます。美はミ、ハル、ミツ、ヨシなどと読みます。トミかミハル、ミヨシ辺りが自然な感じでしょうね。
記事編集 編集
Re: 島津家関連
日時: 2006/01/08 22:29
名前: 中学
参照:
 島津 都美   このひとなんてよむんですか?
 (亀墓の人)
記事編集 編集
Re: 島津家関連
日時: 2006/01/08 01:57
名前: 佐多
参照:
旧高見馬場住人さま
それは残念でしたね。城下士佐多家の墓も南林寺にあった模様で、現在は郡元墓地や武岡墓地などにもいくつかあるようです。和泉島津家なども郡元墓地などにあるようです。興国寺墓地のものは豊州島津家の古墓で、現在は姶良町の総禅寺へ改葬しています。
記事編集 編集
Re: 島津家関連
日時: 2006/01/07 01:04
名前: 旧高見馬場住人
参照:
4代以前の墓石(松原山中南林寺等にあったと思われる。)を探しに、草牟田及び興国寺墓地に足を運びました。両方とも墓地が山の斜面に展開して、斜面中央は現在も利用され、 面倒をみる遺族がいない古い墓石は斜面の両脇に集中している様です。墓石は傷みが進行していて遠目で名前がよみとれないもの、ほとんど半分地中に埋まっているものもあります。結果は発見できず残念でした。島津家関連もありましたが、かなり大き目の搭状(一重の塔みたいな)のお墓、ないしは塔が崩れているものが興国寺墓地にありました。
とりあえずご報告。。。。
記事編集 編集
Re: 島津家関連
日時: 2005/10/09 01:21
名前: 佐多
参照:
続き
十九代 島津久邦(太雲院殿鶴汀籌山大居士/知覧君島津氏墓、室:春容院殿花屋妙顔大姉/島津伊賀久金女・・・佐志家)
二十代 島津久典(久軌)(俊量院殿蘭操徳英大居士/知覧君俊量院殿之墓、室:?/島津将監久泰女・・・佐志家)
二十一代島津久福(知覧君章徳院、室:事□壽十千姫命/村橋昇久隆女・・・加治木家庶流)
二十二代島津久徴(厳雄武久徴男命、室:淵姫之命/島津楽水忠公女・・・越前家)
    島津久治(武雄心久治和気命・・・久徴嫡男?)
二十三代島津剛二郎(島津剛二郎之墓、先室:事足穉幾姫命/? 後室:島津廣子墓/市田氏女)
    島津愛久?(真白玉愛久彦命/剛二郎嫡男)
    島津玉子?(露垣置玉姫命/剛二郎長女)
    島津吉麿(島津吉麿之墓/剛二郎婿養子、酒匂氏/室:なか/山本氏?)
二十四代島津忠弘(島津忠弘之霊位)

八代室と二十代室がわからなかったです。
その他もいくつかありましたが、不明です。
記事編集 編集
Re: 島津家関連
日時: 2005/10/09 01:19
名前: 佐多
参照:
知覧島津墓地のわかる範囲での結果です。
初代  佐多忠光…島津師忠(道珍大禅定門、室:月窓幸心大姉)
二代  佐多忠直(道覚大禅定門、室:月桂鶯山大姉)
    舎弟佐多彦四郎(鉄肝雄心居士) 同佐多三郎四郎(仁山徳雄居士)
三代  佐多氏義(怡閑浄了大禅伯、室:笑室妙竹禅定尼)
四代  佐多親久(退休道哉居士、室:加中妙慶大姉)
五代  佐多忠遊(却外浄超居士、室:貴庵妙幸禅定尼)
六代  佐多忠山(孝岳道忠禅定門、室:遠林妙久大姉/頴娃兼政女?・・・推測)
七代  佐多忠和(俊翁道英居士、室:円室心鏡大姉/島津下野守延久女・・・薩州家庶流大田氏)
八代  佐多忠成(義山道節居士、室:請室妙慶大姉/島津相模守運久女)
九代  佐多忠将(昭山常鑑居士、室:花渓妙栄大姉/頴娃山城守兼洪女)
十代  佐多久政(春岩道却上座、室:長慶清延大姉/島津左兵衛尉尚久女・・・宮之城家)
十一代 佐多久慶(幽山賢心居士、室:島津中務大輔家久女・・・永吉家)
十二代 佐多忠充(月山高松庵主、室:梅顔清芳大姉/鎌田蔵人政冨女)
十三代 佐多忠治(心翁久安居士、室:花栄笑括庵主/島津下野守久元女・・・宮之城家)
十四代 佐多久孝(家岳栄仙大居士、先室:?/鎌田源左衛門政有女・・・離縁なので墓無し 後室:観明慈音大姉/町田勘解由忠代女)
十五代 佐多久利(浄光院殿玉峯全白居士、室:霊照院殿元心高月大姉/佐多久孝長女)
十六代 島津(佐多)久達(瑞祥院殿昭麟一角大居士、室:実相院殿如月安聖大姉/佐多久孝二女)
    佐多久基(法照院殿月鑑霜白居士・・・久達嫡男)
十七代 島津久豪(照源院殿円応義鑑大居士、室:智徳院殿浄覚照円大姉/肝付主殿兼柄女)
十八代 島津久峰(毅斉院殿君謨元弼大居士、室:智泉院殿清巌慧心大姉/島津内記久腆女・・・宮之城二男家)
記事編集 編集
Re: 島津家関連
日時: 2005/07/31 21:40
名前: 佐多
参照:
給黎家は二代島津忠時の子供にいました。(没落?)その後、伊集院忠国七男の久俊が給黎を領して今給黎を称していました。この御仁が知覧を横領していました。久豊に下った後は馬飼所として知覧長里を宛がわれています。嫡流は伊集院へ復して城下士になり、庶流は枕崎の喜入氏に仕えています。その一部が今給黎へ復していますのでそのご子孫の方の墓ではないかと。
碇山家は1-ロ-7-3…比較的近代墓
今給黎家は1-ロ-8-48…近代墓
新納二男家は1-ロ-4-4 竹之助氏は実名久中で十九代当主です。鹿児島県史料新納久仰雑譜一に略系図があり十七代久仰室久(子)(十六代久敬娘)、久仰二女薫(子)、十八代久脩四女雪(子)五女八重(子)が青山共葬地に葬るとあり現存していました。
川上家も多いですね。後は鎌田家や珍しいところでは仁禮家、禰寝家(嫡流は小松家へ改姓)、菱刈家、比志島家もあったような気がします。薩陽武鑑で家紋や通字を確認しながらの作業になります。
本日立山墓地も含めて回りきりました。
記事編集 編集
Re: 島津家関連
日時: 2005/07/31 19:01
名前: 五輪塔
参照: http://www4.airnet.ne.jp/soutai/
佐多さま、小森政定ほか、調べていただきありがとうございます。少ない情報で全員答えていただけるとは思いませんでした。

青山霊園には薩摩藩関係者の墓が本当に多いですよね。碇山家や今給黎家は知りませんでした。
記事編集 編集
Re: 島津家関連
日時: 2005/07/30 22:50
名前: 佐多
参照:
鹿児島の松原山へ葬ったとよく古い本に記載されているのですが、場所はどこにあるのでしょうか?誰かご存知の方がいましたらご教授願います。
記事編集 編集
Re: 島津家関連
日時: 2005/07/30 21:16
名前: 佐多
参照:
やっと寺山家の墓を発見しました。士族は一種が多いのでそちらをメインに探していたら二種の区画にありました。一種と二種の区画はどのように分けられているんですかね?その他碇山家(島津上総介家庶流で幕末将曹久徳が家老になり島津姓に復してその後碇山へ戻しています)、喜入家、新納二男家(戦国期の武蔵守忠元の子孫)、今給黎家(伊集院庶流)、町田家がありました。樺山家と伊集院家は多いですね。佐多家は軍人や役人になった人はあまり聞いていないので無いんでしょうね。

伊集院甚助を検索したら、鹿児島大学図書館の所蔵文書で寺尾家文書の中に郡座伊集院甚助が記載されていました。安永年間に死去しているので当人かその子供ではないかと思われます。寺尾家は入来院家の庶流で入来役人をしていた家です。
記事編集 編集
Re: 島津家関連
日時: 2005/07/27 04:35
名前: 佐多
参照:
五輪塔さま
小森政定…藤原姓鎌田氏庶流だそうです。(政を通字としている)
中山尚之介…久光側役は中左衛門実善(1833〜1878)同人か、その縁者かもしれません
家村造右衛門…平姓渋谷氏庶流のようです
伊集院甚助…不明
すみません、あまりお役に立てなくて。

前にどこかのスレッドで麻布の大円寺は何?とありましたが、江戸東京散歩という本に六本木駅近くの法安寺(法庵寺)隣に大円寺の名前がありました。現在は無いので移転したか廃寺になったものと思われます。
記事編集 編集
Re: 島津家関連
日時: 2005/07/26 02:00
名前: 五輪塔
参照: http://www4.airnet.ne.jp/soutai/
佐多さま、いつも書き込みありがとうございます。
青山霊園に眠る薩摩藩関係者で、どのような人か詳しくわからない人物が何人かいます。
情報お持ちでしたらご教授頂けないでしょうか。

小森政定 1-イ-13-17 享保16.8.17没
中山尚之介 2-イ-14-8(10) 島津久光側近だった人?
家村造右衛門 1-ロ-20-19 
伊集院甚助 1-ロ-20-19





記事編集 編集
Re: 島津家関連
日時: 2005/07/24 23:41
名前: 佐多
参照:
松厳寺に行ったら墓所が無かったです。こんなこともあるのですね。青山霊園では垂水島津二男家末川家の墓がありました。まさかこんな所にあるとは思いませんでした。その他島津英子さんの墓所があったのですが、明治36年没4才とありました。どこの家の方か誰かご存知の人はいませんでしょうか?後は越前島津庶流宇宿家や薩州准二男家吉利家も又ありました。
記事編集 編集
Re: 島津家関連
日時: 2005/07/23 01:39
名前: 高遠さくら
参照:
佐多さま。

ご教示、ありがとうございます。
ただ、袖ヶ崎島津家という名称は、余り聞いたことがありませんが・・・

明治後の磯島津公爵家邸は、確か、大崎か五反田の近くで、清泉女子大?だったかな、島津邸の跡地だったと記憶していますが。

また、現在、島津家のご子孫の間では、下の名前で○○君、○○さんと呼んでいるようです。
記事編集 編集
Re: 島津家関連
日時: 2005/07/22 23:37
名前: 佐多
参照:
高遠さま
本宗家の方です。東京の袖ヶ崎に居住していたのでそう呼ばれていたみたいです。銀行の大株主で昭和恐慌で破綻した時に広大な袖ヶ崎の土地も売り払ったと何かの本に記載してあったと記憶しています。
記事編集 編集
Re: 島津家関連
日時: 2005/07/22 23:24
名前: 高遠さくら
参照:
佐多さま。

島津久大の墓所地に関して、ご教示くださり、ありがとうございます。参考に、なりました。

さて、瑞聖寺に墓所があった?という袖ヶ崎島津公爵家とは、どこの家を指すのでしょうか?
公爵の島津家は、島津宗家の磯島津家と、久光家の玉里島津家のニ家だけですので、磯家のことでしょうか。
記事編集 編集

Page: | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 |

件名 スレッドをトップへソート
名前
メールアドレス
URL
画像添付


暗証キー
画像認証 (右画像の数字を入力) 投稿キー
コメント

- WEB PATIO -