名前 |
中川清九郎 |
よみ |
なかがわせいくろう |
生年 |
天正十七(一五八九) |
没年 |
慶長十二年三月五日(一六〇七) |
場所 |
愛知県名古屋市千種区 |
分類 |
尾張藩士 |
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略歴 |
佐々記内とも称す。幼より吉光に仕ふ。甞て朋友と争論して之を殺す。吉光之を聞き、馬を馳せて彼に尾す。其万松寺に慝るゝを見て帰り、後吉光、彼を召還して寵幸す。吉光の松島に幽居するや、従行して常に側に侍す。吉光、忠吉の薨するを聞いて松島を発するや、清九郎又従ふ。次日、旅館に於て吉光に殉せんことを請ふ。吉光許さず。清九郎曰く、江戸に抵つて殉するを許されずんぱ、今直に屠腹して主の為めに先導を為さんとすと。乃ち決意を示す。吉光止むる能はざるを知り、彼が欲する所に任す。其江戸に着して阿部正致の邸に入るや、吉次彼を見て、其懇志を謝し、遺言を求む。清九郎曰く。主に殉ずるは士の本意之に過ぐるなし。他に遺すべき言なしと。翌十七日、吉光屠腹の側に侍し、終に自刃して死す。時に年十九。花玉清空門。(名古屋市史)
墓碑銘は「花玉清空之墓」。
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殉死者碑 |
中川清九郎の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
小笠原吉光 |
主君 |
織豊〜江戸時代の武将、一万四千石。松平忠吉に殉死 |
名古屋市千種区
京都府中京区 |
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ゆかりの地リンク
性高院址 愛知県 名古屋市中区 大須3(現在100メートル道路になっている) |