名前 |
俣野第四郎 |
よみ |
またのだいしろう |
生年 |
明治三十五年三月三十日(一九〇二) |
没年 |
昭和二年四月四日(一九二七) |
場所 |
東京都府中市 |
分類 |
洋画家 |
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略歴 |
函館青柳町生まれる。父は明治期の教育者俣野時中でその四男。2歳のとき札幌に移り、創成小学校から、札幌第一中学校(現札幌南高等学校)に学び、林竹治郎に学ぶ。中学4年のとき胸を患い1年間休学、そのころから絵や文学に関心を示すようになる。三岸好太郎は札幌第一中学以来の親友で、在学中にアネモネ画会を作って作品を発表している。大正10年(1921)3月三岸と共に上京し、東京美術学校(現東京芸大)建築科に入学したが絵画の制作に専念する。大正14年(1924)第2回春陽会に初入選(春陽会には没年の昭和2年まで連続入選)している。当初は岸田劉生やアンリ・ルソーにひかれていたが、転地療養のため沼津に移り住むと東洋ふうな要素を加え、昭和2年の春陽会に5点入選している。その年の3月沼津で個展をひらいたが、過労と風邪が重なり4月4日、24歳という若さで他界した。親友の三岸は同じ年10月、札幌商業会議所に俣野第四郎遺作展をひらいている。また北海道立近代美術館に油彩20点が収蔵されている。(20世紀物故洋画家事典、札幌人名事典などより)
「俣野時中之墓」に合葬、墓誌に「俣野第四郎 昭和二年四月四日没 行年二十五才」とある。
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俣野第四郎墓所 |

俣野第四郎の墓 |
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ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
岸田劉生 |
あこがれ |
明治〜昭和初期の洋画家、草土社を創立、代表作に「娘麗子」肖像画シリーズ |
東京都府中市 |
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久保守 |
親友 |
昭和〜平成初期の洋画家 |
情報求む |
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林竹治郎 |
師 |
明治期〜昭和初期の画家、美術教育者 |
情報求む |
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俣野時中 |
父 |
明治期の教育者、荘内中学校校長 |
東京都府中市 |
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三岸好太郎 |
親友 |
大正期〜昭和前期の洋画家、子母沢寛は異父兄 |
情報求む |
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ゆかりの地リンク |
場所 |
住所 |
説明 |
写真 |
北海道立近代美術館 |
札幌市中央区 |
俣野第四郎の油彩画を収蔵 |
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