名前 |
星川清民 |
よみ |
ほしかわきよたみ |
生年 |
元治元年(一八六四) |
没年 |
昭和九年四月八日(一九三四) |
場所 |
山形県鶴岡市 |
分類 |
歌人 |
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略歴 |
幸太・幸繻。鶴岡鳥居川原に国学者星川清晃の次男として生れる。若くして医者を目指し、上京して済生学舎に学び、免許を取得、鶴岡に戻り内外科医として開業する。医のかたわら国学の研究に励んで数多くの著述を残している。また歌人として知られ門弟の指導に当たっている。71歳で死亡。著書に「鈴木重胤伝」「鈴木重胤大人学説神道演義」「厩山神社誌」「井口国府考」等がある。(庄内人名辞典より)
墓碑銘は「星川清民墓」
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星川清民墓所 |
星川清民の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
野坂是勇 |
四男 |
明治期〜昭和期の日本山僧侶 |
仙台市青葉区 |
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星川清晃 |
父 |
江戸時代後期〜明治期の国学者、権大数正 |
山形県鶴岡市 |
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星川清雄 |
長男 |
明治期〜大正期の日本画家、画号「輝洋」、関東大震災で死亡 |
山形県鶴岡市 |
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星川清躬 |
次男 |
明治期〜昭和初期の医者、文芸家 |
山形県鶴岡市 |
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