人物総覧 ほ
 画家 実業之日本社 関東大震災

名前 星川清雄
よみ ほしかわきよお
生年 明治二十七年十一月二十六日(一八九四)
没年 大正十二年九月一日(一九二三)
場所 山形県鶴岡市
分類 日本画家
略歴

 鶴岡鳥居町に医師で歌人の星川清民の長男として生れる。幼少の時から絵が得意で、荘内中学校在学中美術倶楽部「尚美会」の中心として活躍し、大正2年(1913)卒業すると、上京して東京美術学校日本画科に入学。大正7年に首席で卒業し、記念作婦人像「春」は同校買上げとなる。卒業後、実業之日本社に入社し雑誌の口絵を描いている。東京美術学校在学中から結城素明に師事、大正11年に「童女3人」が帝展に初入選したほか平和博覧会に「春離」を出品し、伊東深水の出世作と競って入賞すると、素明より「輝洋」の画号を贈られた。翌年5月に母を、7月に妻を失い、同年9月本人も関東大震災に遭って30歳で死亡した。(庄内人名辞典より)

星川清雄墓所

星川清雄の墓
  
ゆかりの人物リンク
名前 関係 補足 墓所 写真
野坂是勇 明治期〜昭和期の日本山僧侶 仙台市青葉区
星川清晃 祖父 江戸時代後期〜明治期の国学者、権大数正 山形県鶴岡市
星川清民 明治期〜昭和初期の歌人 山形県鶴岡市
星川清躬 明治期〜昭和初期の医者、文芸家 山形県鶴岡市
結城素明 師事 明治〜昭和時代の日本画家、『東京美術家墓所誌』 東京都豊島区