人物総覧 き 庄内藩 俳人

名前 岸本八郎兵衛
よみ きしもとはちろべえ
生年 慶安二年(一六四九)
没年 享保四年九月十九日(一七一九)
場所 山形県鶴岡市
分類 庄内藩給人・俳人
略歴

 祖は俳人長山重行の祖伝兵衛の配下と伝えられる庄内藩の給人岸本家に生まれる。俳号は公羽。鶴岡島居川原(あるいは長山小路)に住む。寛文10年(1670)3代藩主酒井忠義の代に御徒となる。延宝8年(1680)上野御仏殿造営の普請方として従事した。貞享2年(1685)年4代藩主忠真の時に御徒目付となる。元禄2年(1689)松尾芭蕉が奥羽行脚の途中、鶴岡に来て長山重行邸に泊った折その門人となる。その後も、江戸勤番中親しく教えを受けるなど交流を深めた。元禄7年、律右衛門の病死により家督を継ぎ、御徒小頭となる。芭蕉から公羽に宛てた書翰が現存しており、「そのかみは谷地なりけらし小夜砧」の句を芭蕉は秀作と褒めている。志太野坡・池田利牛・小泉孤屋らが江戸蕉門の撰集『炭俵』を編集した際、公羽の句が二句、芭蕉の句として入集した。後に芭蕉がそれに気付いて、遺言状の中でぜひその誤りを正すようにと弟子の杉山杉風に命じている。(庄内人名辞典など)
 墓誌に「三代 釈浄誓 八郎兵衛 享保四年九月十九日」、墓の側面に「そのかみは 谷地なりける 小夜砧」の句が刻まれている。

岸本八郎兵衛墓所

岸本八郎兵衛の墓(側面に句)
  
ゆかりの人物リンク
名前 関係 補足 墓所 写真
図司呂丸 交友 江戸時代前期の俳人 山形県東田川郡羽黒町
長山重行 交友 江戸時代前期の俳人 山形県鶴岡市
松尾芭蕉 師(俳句) 江戸時代前期の俳人、「甲子吟行」「野ざらし紀行」「おくのほそ道」「冬の日」「猿蓑」 滋賀県大津市
日本中に芭蕉塚がある


ゆかりの地リンク
場所 住所 説明 写真
長山邸跡 山形県鶴岡市
 山王町
元禄2年(1689)松尾芭蕉が奥羽行脚の途中、長山重行邸跡に三日間滞在した。同所に芭蕉が滞在時に読んだ「珍らしや山を出羽の初茄子」句碑がある

滞在中岸本八郎兵衛は長山邸を訪ね、芭蕉に師事、その後も交友を続けた。