名前 |
加藤太左衛門 |
よみ |
かとうたざえもん |
生年 |
元和四年(一六一八)
|
没年 |
貞享元年(一六八四) |
場所 |
山形県鶴岡市 |
分類 |
庄内藩家老 |
|
略歴 |
正勝・正武。三河国吉田城主酒井忠次の家老加藤茂助の孫。越後国高田で生れ,長じて延宝元年(1673)56歳のとき庄内藩の家老となり,俸禄1250石を与えられる。同7年(1679)江戸詰家老林甚兵衛の専横に憤慨して辞任,一説によれば郡代高力忠兵衛の暴政を戒めたが忠兵衛がこれに逆らったため辞したのだともいう。天和元年(1681)再び家老に任ぜられ67歳のとき江戸で没した。多左衛門には子が無く,加藤伝左衛門(茂兵衛)の長男大三郎(大弐)が養子となってその跡を継ぐ。(庄内人名事典)
墓碑は九月十二日没。
墓碑銘は「義雲院忠誉高寂道居士」
|

加藤家墓所 |

加藤太左衛門の墓 |

加藤太左衛門の墓(接近) |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
加藤大弐 |
養子 |
江戸時代初期〜中期の庄内藩家老 |
山形県鶴岡市 |
 |
高力忠兵衛 |
対立 |
江戸時代初期の庄内藩家老、郡代 |
山形県鶴岡市 |
 |
林甚兵衛 |
対立 |
江戸時代初期の庄内藩家老、乱心自殺 |
東京都葛飾区 |
 |
|
ゆかりの地リンク
|