名前 |
小塩五郎 |
よみ |
おしおごろう |
生年 |
天保元年(一八三〇) |
没年 |
明治二十七年七月二日(一八九四) |
場所 |
愛知県名古屋市千種区 |
分類 |
本草家 |
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略歴 |
名は芳腎、幼字は三千五郎、人呼んでミイスといふ。依りて自ら亦ミイスと称し、後三居巣の文字を充てゝ雅号となす。藩士小塩新左衛門親賢の第五子なり。少壮朝倉氏の門に入りて射術を修め、又本草を吉田平九郎の門に学ぶ。而して一旦其養子となりしも、後平九郎の子を生むに至り、自ら辞して家に帰る。凡採薬の地、菰野、伊吹、恵那の諸山、数々登攀を経、又御嶽、駒ヶ嶽、富士等の高山皆其採集を経ざるなし。最も識名に長じ、且つ鳥獣、魚介、昆虫の類其寫生の巧妙、実に天性に出づ。伊藤圭介、常に推重して交情極めて厚し、人と為り恬淡寡欲、貧に処して晏如たり。人の乞ふ者あれば寄草異花も惜まずして之を与へ、偶々報ゆるに銭を以てする者あれば、直に酒を沽ひて其人と対酌し、陶然一酔以て娯とす。明治二十七年七月二日没す、享年六十五。総持院薬草日採居士と法諡す。(名古屋市史)
墓碑銘は「総持院薬草日採居士」。
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小塩五郎の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
伊藤圭介 |
交友 |
江戸時代後期〜明治時代の植物学者、蘭方医。日本最初の理学博士 |
東京都台東区 |
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大窪太兵衛 |
交友 |
江戸時代後期〜明治時代の本草家 |
名古屋市千種区 見あたらず |
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吉田高憲 |
師 |
江戸時代後期の本草家 |
名古屋市天白区 見あたらず |
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ゆかりの地リンク
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