名前 |
渡辺沙鴎 |
よみ |
わたなべさおう |
生年 |
文久三年(一八六三)
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没年 |
大正五年十月十五日(一九一六) |
場所 |
東京都豊島区
愛知県西春日井郡西枇杷島町
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分類 |
書家 |
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略歴 |
名は周、沙鴎は号、別号に東海、飛清閣主がある。名古屋に生まれる。書をはじめ水谷魯堂に学ひ、ついで恒川宕谷につき、一六歳の時には師の代筆をするまで上達、漢学を浅田藤山、佐藤牧山に受け、画を神保木石に習ふ。明治21年東京に出て日下部鳴鶴の門に入り、中林梧竹、巌谷一六の教えをうけた。明治34年六書展覧会を催し、さらに日本書道会を起し毎年展覧会を開く。
墓碑銘は「渡邊沙鴎奥津城」
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渡辺沙鴎の墓(東京都豊島区) |
渡辺沙鴎墓所(西枇杷島町) |
渡辺沙鴎の墓(西枇杷島町) |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
浅田藤山 |
師(漢学) |
明治期の教師 |
名古屋市千種区 |
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巌谷一六 |
師(書) |
江戸時代後期〜明治期の書家、水口藩士、官僚、一六流創始、貴族院議員 |
京都市東山区 |
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日下部鳴鶴 |
師(書) |
明治期〜大正時代の書家。太政官大書記官、明治三書家の一人 |
東京都世田谷区 |
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佐藤牧山 |
師(漢学) |
幕末〜明治時代中期の儒学者、尾張藩校明倫堂督学 |
東京都新宿区 |
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神保木石 |
師(画) |
江戸時代後期の画家 |
情報求む |
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恒川宕谷 |
師(書) |
江戸時代後期〜明治時代の書家 |
名古屋市千種区 |
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中林梧竹 |
師(書) |
明治期〜大正期の書家、明治書壇の中心人物 |
小城郡三日月町 東京都港区 |
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水谷魯堂 |
師(書) |
江戸時代後期〜明治時代の書家 |
名古屋市天白区? 見あたらず |
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