人物総覧 や 尾張藩 茶人

名前 山本道伝
よみ やまもとどうでん
生年 天明六年?(一七八六?)
没年 天保十四年九月二十四日(一八四三)
場所 愛知県名古屋市千種区
分類 茶人
略歴

 尾張藩数寄屋頭。諱は政教。山本家は代々茶道をもって仕える。父は道八政章、母は山寺氏。父方の祖山本道句(勺、旬とも)妙松庵は、古田綾部の門人。以後、代々庭造として幕府に仕える。その子のうち、道伝政之は、将軍の命により初代藩主徳川義直に茶道として仕える。山本家は、本来織部流であったが、八代藩主宗勝の命により、幽蓬軒道伝が江戸の松本見休に入門、有楽流に改めた。尾張藩における有楽流の繁栄と定着に山本家代々の果たした役割は大きい。政教の父澗号斎道八は、この幽蓬軒道伝の子にあたる。はじめ数寄屋方を勤めたが、のちに髪を蓄えて、手筒頭格となった。このためか、文政二年、幽蓮軒の弟子平尾数也の門下であり、家業の茶道に優れていた第二子の政教が新たに召し出され、世禄三十俵に二十九俵を加え、別家を立てた。同四年数寄屋頭並、加禄二十四俵、同六年本役、加禄十七俵、天保十四年、その勤労に対して銀二枚を受ける。同年九月二十四日病没。享年五十八歳。諡は皆大院政教日道、なお、山本家の屋敷は、代々三の丸の南端、東側にあった。
 墓碑銘は「皆大院政教日道居士」

山本道伝の墓

ゆかりの人物リンク
名前 関係 補足 墓所 写真
平尾数也 江戸時代後期の茶人、六代、尾張藩数寄屋頭 名古屋市千種区
山本道八 江戸時代後期の茶人 名古屋市千種区 見あたらず