人物総覧 や 福井藩 名古屋市長 蕃書調所 東京外国語学校

名前 柳本直太郎
よみ やなぎもとなおたろう
生年 嘉永元年三月七日(一八四八)
没年 大正二年三月一三日(一九一三)
場所 愛知県名古屋市昭和区
分類 官吏・名古屋市長
略歴

 名は直満、通称は直太郎、久斎と号する。越前福井に生まれる。父は柳本久兵衛で禄八石二人扶持、小坊主三人扶持だった。その才が認められ、文久元年三月(1861)に英語の学習を命じられ、翌年蕃書調所に入る。慶応元年(1865)に横浜で外人相手に英語の修業を命ぜられ、三年四月アメリカヘ留学したが、足軽の身で洋行したものは稀であった。明治になって華頂宮博経親王の在米留学中の世話役を勤め、帰朝後文部省に入って東京外国語学校長になり明治二十七年から三十年までは第三代名古屋市長であった。年六六で没。「従五位勲六等柳本直太郎之墓」。

柳本直太郎墓所

柳本直太郎の墓

ゆかりの人物リンク
名前 関係 補足 墓所 写真
華頂宮博経親王 世話 幕末〜明治期の皇族、軍人(海軍少将)、孝明天皇の養子、華頂宮家を創立 東京都文京区
志水直 後任市長 明治期の軍人(陸軍歩兵大佐)、名古屋市長、衆議院議員 情報求む
志水忠平 前任市長 幕末の尾張藩老中、維新後尾張藩大参事、名古屋市長 名古屋市千種区


ゆかりの地リンク
場所 住所 説明 写真
蕃書調所跡
(竹本図書頭邸跡)
東京都千代田区
 九段南1-6 昭和記念館
 安政二年(1855)江戸に開設した洋学の研究・教育機関。当初は軍事に関する技術を主な対象としていたが、蘭学、英・仏・独などの語学、自然科学に関係する学科が設けられ教育と研究が行われた。
市役所址 愛知県名古屋市
 中区栄5丁目
 明治22年10月1日市制施行、明治23年3月19日に市役所開庁式が行われた。場所は現在の中区役所付近になる。最初の市役所は明治40年10月24日に焼失した。