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略歴 | |||||||||||||
鶴岡に水野重慎の子として生れる。圧内藩の中老をつとめた水野藤弥の孫で14代当主。明治35年(1902)荘内中学校を卒業、金沢の旧制四高を経て東京帝国大学法科大学に入る。明治40年7月卒業して判事に任ぜられれ、同年11月韓国京城に赴任、明治43年(1910)日韓併合条約により朝鮮が併合されると朝鮮総督府地方院判事となる。第2次世界大戦中は総督府高等法院検事局検事長をつとめた。昭和20年(1945)終戦とともに帰国、郷里鶴岡に戻り弁護士をいとなんだ。(庄内人名辞典) |
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水野重功墓所 |
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水野重功の墓 |
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